【番外編3】私の10代 アンダーグラウンド 音楽紀行

ぼくはそのとき16歳だった。それが人生でもっとも美しい季節だとは誰にも言わせまい。とはいえ、多くの方々から連絡をいただき、追記しておきたい。

*大人の事情で某雑誌に掲載されなくなりましたので、ここに貼り付けますー(文責:坂口孝則)

【番外編2】
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【番外編】
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【第5回目】
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【第4回目】
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【第3回目】
http://cobuybtob.sakura.ne.jp/blog/?p=4209

【第2回目】
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【第1回目】
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・まったく記憶がないこと

今回、この一連のブログを書く過程で、昔の記憶を呼び覚ました。いろいろと教えてくれた方々がいる。まったく覚えていないこともあった。ぼくは、高校生のとき、ノイズのユニットをやっていたときに、バンド雑誌に「当方、プロ志向。冷やかし禁止。ビジュアルバンドで習字ができるメンバー募集」とかいう告知を載せていたらしい。意味不明だが、それも若さということだろうか……。

遠藤ミチロウさんが、詩集のなかで、過去の自分はなぜあんな言葉を掴まえられたんだろう、と書いていたけれど、そういう感情に近いのかもしれない。

そのとき、Kくん、Tくん、Yくん、とぼくの4人で非常に前衛的なノイズパフォーマンスをやっていて、たぶん現在の高校生が超えられるレベルではないと思う。これは「(笑)」とつけるべきかもしれない。ぼくは当時、バタイユとかパゾリーニに影響を受けて、その後に、ソルジェニーツィンとかの悲しみを表現できないか、みたいな、いかにも中二病的な高二病だったのだ。

そして、ぼくも、Kくん、Tくん、Yくんも、まともな人生になっていない。普通の会社員になって人生を過ごす、という感じではない。たぶん、ぼくのせいなんだろう。

・高校生と大学生と

55歳の男性がいる。そして60歳の男性がいる。そうすると、5歳の差はたいしたことがないように思える。実際にそうなんだと思う。

しかし、90年代当時。ライブハウスに入り浸っていたぼくたちは10代で、その他の人たちは20代だった。年齢差でいえば5歳くらいにすぎない。ただ、それでも、その5歳差は相当な開きがある。

当時、ぼくたちは何もわからない高校生だった。他の人たちは社会人だったり、大学生だったりした。バカで知識がないだけではなく、なんの技能も有していなかった。それでも、まわりの”大人たち”は優しく接してくれた。

ぼくはいま40代になった。メディアで発言をするたびに、過去の事実確認のために、かつての”大学生たち”=”大人たち”に質問を繰り返した。すると、ぼくたちの思い出を含めて、いろいろ教えてくれた。感慨深かった。

ぼくは、年下の人たちに対等に接することができているだろうか。大学生時代の自分が、かつての高校生たちに上手く接することができていたかというと、どうも自信がない。こんなことをいうと、かつてのぼくたちが、それなりの将来性を感じさせていたんじゃないかと思うひともいるだろう。しかし、まったくそんなことはなかった。

単に、”大学生たち”=”大人たち”の優しさに触れていただけだった。しかし、ぼくたちは馬鹿者だから、その優しさに気づくのに時間がかかった。

・ぼくのその後

ぼくは、数万人規模の会社に入って、そして数人規模の零細企業に転職して、そして会社を作った。おままごとのような文章を書いていたら、それが本の出版につながって、いつの間にか35冊の本を出していて、さらにテレビとかラジオに出るようになった。

ぼくは、ほんとうにたまたまこんな状況にいるだけで、心のなかではずっとライブハウスに入り浸る少年のままでいる。

この感覚を、16歳のときスレイヤーをもとに友だちができて、そしてジャパニーズアンダーグラウンドミュージックをベースに人生が決まったことのないひとに説明するのは難しい。

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