【第4回目】私の10代 アンダーグラウンド 音楽紀行
*大人の事情で某雑誌に掲載されなくなりましたので、ここに貼り付けますー(文責:坂口孝則)
・時代の鼓動というもの
時代の鼓動、というものがある。きっと、経験した人にしかわからない。むかし、manwomanというバンドがあって、プログレっぽい音にえらく関心(感心)した記憶がある。
<manwoman>
もう時効だろうが、隠し撮りして何回も観た。Force、そして高校時代にずっとTシャツを着ていたマルチプレックスもそうだった。
<マルチプレックス>
しかし、同時に、時代の鼓動、という意味では、やはりハイスタとブラフマンだったと思う。
*当時の動画ではない
<ハイスタンダード>
<ブラフマン>
どちらも、両バンドの魅力を伝える動画ではある。しかし、ぼくが見た両バンドは、もっとあやうく、そして爆発寸前だった。なぜだかわからないが、ライブを見たときに、時代が変わると思った。もちろん、こんなものは後付にすぎない。
しかし、あの興奮はなんだったのだろう。時代が変わる節目に立ち会っているような感覚。そして、たしかに時代はぼくたちのものだった。
大衆が分衆になり、そして、現代ではそれぞれがタコツボに入り総オタク化している。その端境期の夢をぼくたちは見たのかもしれない。
・忘れられない会話
ちなみにぼくはSHELLSHOCKが好きなのだが、見ながら、ある方とこういう会話をした。
<SHELLSHOCK>
「生き残るバンドと、辞めてしまうバンド、何が違うのでしょうか」
「客が暴れてるかどうかだよ」
「そんなもんですか」
「反応が悪かったらどんどん辞めるよ。だから、良かったら、どんどん前にいかなきゃ」
ときとしてぼくたちは、アーティストだけがステージを作ると勘違いする。しかし、実際には、観客との共作なのだ。だから、一人ひとりの声がアーティストを生かす活力となりうる。 一人の力なんてたいしたことない、と思いがちだ。そうではない。一人の声こそが重要なんだ。
Tシャツを買う。そして感想をいう。異論もあるだろうが、ぼくは好んだバンドのみを語る。合わないバンドの固有名詞を述べたってどうしようもない。これは高校時代の原体験に基づいている。
・そして危うさ
さらにここで、ちょっと、まだ整理できていないことを書いておきたいと思う。それは、シーンが熱すぎることの弊害だ。
ライブハウスで音楽に出会う。衝撃を受ける。そうすると、これまで聴いてきた音楽をすべて否定したくなる。そして、アンダーグラウンドシーンしか見えなくなる。この態度は正しいのかもしれないし、若者ゆえの無鉄砲といえなくもない。
「あのさ、テレビで流れている音楽なんてクソなわけよ」
「そうそう。あんなダセーの聴けないっつうのよ」
理解できるし、完全に反対かというと、そうでもない。それでもなお、危うさがあると思うのだ。これは「メジャーにセルアウトしろ」とか、「メジャーの人だって考え抜いているんだよ」とか、「やっぱり大衆を掴んでナンボなわけよ」とか、「マーケティング音楽と、アンダーグラウンドは別物なわけよ」とか、「アングラの人たちだってカラオケでAKB歌うじゃん」とか、そういう軽薄な意味ではない。
ここらへんが、言語化できないのだが、あえていうと「なんにしても、負けたら負けだ」ということだ。当たり前かもしれない。でも、負けたら負けなのだ。表現できる場所がなくなったらおしまいだ。
たとえば、アングラシーンを書きたいライターがいたとする。たぶん、そのままだとお金にならない。お金にならなくてもやりたいなら、他の仕事をもつ必要がある。アーティストもおなじ。あるいは、パトロンをもつ必要がある。あるいは他のキャッシュポイントをもつ必要がある。これは、戯言ではなく、リアルなのだ。
なにか考え続けて、自分の場所を保ち続ける工夫が要る。繰り返し、これはリアルなのだ。ぼくはハイスタとブラフマンは、相当に考え抜いて、あの檜舞台に出ていったと思う。社会と自分と音楽のなかで、なんらかの現実解を見つける必要がある。
他人が「くだらねー」と思う方法であっても、生き残ったら勝ちだ。
・ぼくの愛したものたち
90年代後半の当時は、「BURRN!」系と、ライブハウス系が比較的に対立していたように思う。いまでは考えられないが、「メタル」ていうのは、「ああ、『BURRN!』に載っている、ピチピチのジーンズ履いて、ロンゲのダサダサのやつでしょ」といわれていた。「ギターソロが異常に長い、ダサいやつでしょ」とも。
「メタル」と「ヘビメタ」っていうのも、違う意味で使われていた。なんだったんだろう、あの時代は。いま思えば、トランプ大統領が壁という以前から、みんな自分の壁を作って、他のテリトリーを馬鹿にし続けていたんだ。
しかし、ぼくは、「BURRN!」とか「ヤングギター」が取り上げるバンドとも過ごしてきた。それはいまも同じなのだ。
<OUTRAGE>
<ラウドネス>
あとなんで、メタルとパンクって、あれほど対立構造にあるんだろう。どっちも聴けばいいのに。
<遠藤ミチロウ>
自由を歌うアーティストやファンたちが、作り上げる「壁」の数々。ぼくたちは、ドナルド・トランプや、ボリス・ジョンソンを笑えるだろうか。
どうも音楽を通じて、ぼくはさまざまなことを考えてきたようだ。