私たちが調達業務に注目する理由
調達・購買業務と企業の業績
上記が、企業の調達・購買活動と、それがいかに企業業績等へ反映するかを示したものです。こう見ると、調達・購買業務がいかに広範囲にわたり、さらに、企業へ影響を及ぼすかがわかります。
私たち未来調達研究所株式会社は、企業の調達・購買業務を変えることを仕事としています。それぞれ調達・購買業務に従業していました。もちろん、その経験からでもありますが、なぜ私たちが調達・購買業務に注目しているのかご説明します。
私たちが調達・購買業務に注目するわけ
違う話と思われるかもしれませんが、お読みください。以前、ヨーロッパに出張に行ったときのことです。休みの日に教会に行きました。そして、ピアノが鳴っていました。そのときの衝撃。まったく、音の響きが違うのです。一つの音がずっと鳴り続けていました。
こりゃ、生み出される音楽が違うはずだ、と思いました。野原で叩くアフリカでは、打楽器のリズムが発展しました。日本では、雅楽が自然とともに発展しました。そして、ヨーロッパでは、音と音が重なり合うハーモニーが発展しました。
私は、正直、日本ではヨーロッパ的な音楽教育は不可能ではないかと思いました。伝統だけではなく、もはや、身にしみた文化が違いすぎるのです。建物の構造も違います。
いや、これは音楽論ではありません。調達・購買論です。安心してください。
ヨーロッパでは、主旋律と副旋律、伴奏・リズムがあります。それにたいして、日本ではすべてがフラットになっています。境界がないのです。
私は「イギリスの上流階級のひとをゴルフに誘わないでください」といわれて驚愕した記憶があります。イギリスでは、ゴルフは上流階級のひとはやらないのです(だから皇室のひとがゴルフに興じる姿を見たことがないはずです)。それだけ、ヨーロッパは階層・階級文化が支配的です。
食事を想像してください。欧州はヨーロッパの晩餐会など様子を思い浮かべて頂きたいんですが、
明確に「前菜」「メイン」、そして「デザート」という階層があって、その中で料理は、メインに向かって収斂していくわけです。晩餐会などでは、多層的そして奥行きを持った空間があって、食材を置いた時点での総合的な演出をしなければいけない。
日本では、すべてがフラットといいました。奥行きがないのです。
このように日本料理というのは良くも悪くも、曖昧で全てがフラットに置かれていて、その中で一つの料理が主張することも、主張しないこともできる。欧州ではおそらく考えられないようなフラット化がなされています。それぞれの手間、食材の違い、順番というものがありません。ここには前菜だとかメインだとかの明確な区切りはありません。繰り返すと全てが並列に並んでいるわけです。
欧米人からすると信じられないくらい涼しい顔をして日本人というのは物事を均等に見る性質があるんですね。例えばこれは世界で一番有名なモナリザの絵ですが、モナリザの絵を見ていただいても分かる通り、絵というのは奥行きがあって目の前に主役というものが存在している。
これは当たり前と思うかもしれませんが、これは実は当たり前ではなく一つの描写スタイルに過ぎないのです。しかし日本画を見てもらいたいんですが、ここには奥行きがなくかつ全ての対象が均一に並んでいると言うことがわかります。どれが主役かは分からない、すべてがフラット化しています。これが先ほど言った日本文化の特徴と言っても良いですし、欧米文化と比較した際の大きな違いということができるかと思います。
産業構造のフラット化
徐々に調達・購買の話に移っていきます。
先ほどまで紹介した違いが、実は産業構造にも影響を与えているのではないか。これが私の仮説です。そこで西洋と日本という対立をあえて文字出しましたがここではアンダーラインの部分だけご覧ください。
区分と階級と書いています。それに対して日本は全てがフラット。そして西洋では二項対立と書いていますが、要するに何かと何かの違いを明確につけることです。それに対して日本は、境界が曖昧であると。ただ私がもう一度、重要点を繰り返すと、これが文化側面だけではなく産業構造の違いにも大きな歴史的な違いを与えてるのではないかという点です。
よく垂直統合といわれます。あれは、トップの企業があって、ティア1、ティア2……といった下請構造を指します。しかし、私は怪しく思っています。西洋では、たしかにそうです。しかし、日本の企業では、自社もサプライヤも、一体化して製品づくりに励んでいます。ピラミッドではなく、平面的です。
欧米の企業と違って、高度成長期に日本では自社を大きくするだけでは生産能力が足りずに、多くのサプライヤから協力を得ました。一丸となって物事にあたり、それが「すりあわせ」などと呼ばれるようになりました。企業の枠をこえて現場に全員が集結しものづくりを実践しました。それが日本の強みであったはずです。
私は、それは必然だったのではないか、と思っています。西洋は、文化も社会も階層的だった。日本は、良くも悪くもすべてが平等で、フラットで、境界がなかった。これは学術研究でも明らかな通り、西洋の企業にくらべて、日本企業は取引をするサプライヤの数が多いといわれています。
相当な私見でいえば、むしろ、日本企業は、自社とサプライヤの違いすら感じていなかったのではないか。力と力を結集しているあいだに、結果としてサプライヤが増えていったのではないか。
だから、西洋人からは聞いたこともなかったように、「サプライヤとの連携の重要性」「サプライヤのことを考えた調達業務」が志向されてきました。このところ、やっとCSRなどで、サプライヤへの社会的責任などと西欧企業が叫んでいますが、あれなど、日本企業の調達・購買部門からすると当たり前のことではないですか。そんなこと、日本では100年前に渋沢栄一がいっています。
これまで70年代に強かった米国を80年代から90年代のバブル期に日本は抜いたとされていますが、構造で考えると内作を極めて小さな比率とし、そしてサプライヤシステムの活用にあったということができます。これは私だけの意見ではなく多くの学者が述べている意見です。
それに対して2000年代はEMSすなわち組立外注を使うモデルで日本勢が負けましたが、それは異質なものと対決しているいるのではなく、むしろ日本的構造をより進化させたモデルという評価が妥当ではないでしょうか。そして今では「ポストものづくり」と呼ばれる企業は、工場を持たず開発や企画だけをして、そしてiPhoneの製造自体は鴻海に任せる仕組みをとるメーカーが増えてきています。
しかし、これも同じような文脈で考えれば本体に内作領域を小さくして、そしてあえて欠落させることによって強みを発揮しているんだと理解する方が実際は正しいでしょう。
私は、この文化的背景に、日本企業における調達・購買部門の可能性を読むのです。つまり、日本企業では、サプライヤと多く接している。そして、サプライヤの情報を無数にもっています。生産やコスト削減手法など、他国の調達・購買部員が有しない情報を多くもっています。
日本の調達・購買部門の可能性
大きな声でいうと怒られますが、なんか欧米の調達・購買知識って、私には馬鹿げているように感じられます。なんか当たり前のことを、かっこよく概念化しただけ。はるかに、日本にいる、そこらへんの現場のひとが、はるかに多くの真実を知っています。
以前、「マザー工場」が流行しました。しかし、これからは、「マザー調達本部」をもつべきでしょう。そして、自社の他国拠点のみならず、ひろくその調達情報を発信していくこと。これが、私は日本の調達・購買部員の生き残る道だと考えています。フラットがゆえに、そして、境界がないゆえに活躍できる方法論があると思います。
それはサプライヤの現場知識であり、サプライヤとの連携方法であり、サプライヤとの効果的なコスト削減手法です。なにより、日本の調達・購買部門は、サプライヤ情報をたくさんもっているし、たくさんつきあっている。この強みをいかすべきだ、と私は思います。サプライヤとの密接さのなかで蓄積した、ビッグデータではなく、ディグデータ(深掘りした情報)が積もっているはずです。そのノウハウをいまこそ集結すべきときです。
そこで、最初の図に戻ってみましょう。
調達部門がこれだけ全社業績に影響を与えられるとすれば、日本企業こそ、これまで説明したような背景から最大の効果が期待できるはずです。私たちは、日本企業に埋もれる、それぞれのノウハウを最大化したいと考えています。そのために、日々、私たちは研究とコンサルティングを続けています。