【第5回目】私の10代 アンダーグラウンド 音楽紀行

*大人の事情で某雑誌に掲載されなくなりましたので、ここに貼り付けますー(文責:坂口孝則)

・高校生時代の最後に

この連載も、高校時代編は最終回になる。ところで、いきなりだが、話は32歳の私にタイムスリップする。

私が独立して仕事に行き詰まり、来月からどうしようかと思い悩み、目の前が真っ暗になっていたときに、妻から「一緒に病院に行こう」といわれた。その行き先は、精神科ではなく、産婦人科。お医者さんはいくつか妻を検査したあと、ゆっくりと「おめでとうございます」といった。

診療費を支払うお金がなく、ひとり急いでコンビニに走っていたとき、なぜだかすべての景色が美しく見えたことを覚えている。

「ばかだなあ、ぼくはいったい何を悩んでいたんだろう」

たった一つの出来事で不幸と幸福の色が塗り替わることが、人生を哀しくもそして愉しくもする要素かもしれない。

たしか、息子が5歳くらいのころだったと思う。父母会の打ち上げで、私が音楽好きという話になり、息子が「パパはいつも、『ぎゃー』っていう音楽を聴いているんだよね」と話した。まわりの親たちは笑っていた。「でも、そういう音楽に救われる人もいるんですよね」と私は苦笑するだけだった。

話はふたたび、高校生。高校3年生の3月ころに戻る。

どこの大学に行くか、みんなの進路が決まった。ぼくはたまたま、どっかの大学に受かって、同じく大学が決まった奴もいれば、予備校に行くという奴もいた。

早めの桜が咲こうとしていた。

卒業がなぜだか信じられなくて、なんだか、ずっと教室に残っていたのを覚えている。これで終わるんだろうか、という気持ちが支配していた。あの感情はいったいなんだったんだろう。

誰かが体育館で、ラジカセでコークヘッドヒップスターズを流していた。たしか、ビートルズの「デイ・トリッパー」のカバーだったと思う。こんなに記憶がたしかなのに、コークヘッドヒップスターズが「デイ・トリッパー」を演奏した記録を探せない。ぼくのなかだけの記憶かもしれない。でも、あのジョージのフレーズがいまでも浮かんでくる。

あの危うげなギターと高校時代の思い出がセットで、ぼくのなかにただよっている。

<coke head hipsters>

そんなとき、Tくん、だったと思うけれど、なんか自身を取り巻く状況が大変だったみたいだけど、それでも「それよりも、なんか今度、ライブ行かない」と誘ってくれた。佐賀ガイルスでのライブだったと思う。ハードコアバンドのごった煮のライブ。

ぼくは、そういう音楽にしか救われない人がいると知ったのだった。

・再帰性のなさ

奇跡的な友だちと、どうやって出会うだろうか。もちろん、奇跡的にだ。

そして、その出会いが奇跡的であるほど、再現性はなくなる。

ぼくたちは馬鹿者だったから、これが永遠に続くと信じていた。少なくとも、ライブごとの狂騒が続くと信じていた。すくなくとも、ぼくたちが盛り上げた場所はずっと、その熱さを保っているはずだった。

ぼくはCOCOBATのパスヘッドTシャツを着ている若者で、ずっと10代のはずだった。

<COCOBAT>

ぼくは馬鹿者だったから、いつでも思い出の場所に戻れると思っていた。

たとえば、ぼくが過ごした佐賀県では、新たに作られたシーンを持続するために、「ハードコア」「グラインドコア」「ポスト・メタル」といった音楽を継続しようとしていた。誰もがイベントを継続して開催していた。

しかし、なぜだろうか。一度、大阪や東京に出てしまったぼくが、ふたたび佐賀に帰郷して聴いた音は、まったく違ってしまっていた。いや、これは地方だけの出来事ではない。東京でも、大阪でも、数年が経ったら、あの素晴らしい音楽は変容を遂げていた。

これは誰かのせいではなく、ぼくが馬鹿者だったのだ。

ぼくの認識が間違っていたのだ。もう、ある瞬間に聴いて感動を覚えたシーンは、もはや、次の瞬間には存在していない。たった数年であっても、その数年の歳差がある人たちが違うシーンを作るのだ。

鴨長明ではないけれど、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。変化は不可逆であって、ぼくらは抗えない。

ぼくたちは元いた場所を出ていった後、戻れる場所はもちろんない。ただ、なぜだか、それは哀しい意味ではない。それが大人になる、ということなのかもしれない。

・グッバイ・トゥ・ロマンス

ところで、最後に高校時代の思い出として、感傷的な話を書いておきたい。

ぼくが大学に受かったときに、合格発表当日に、学生服で、いろいろなところに報告にいった。たぶん、若かったから、あまり考えずにいろいろ行ったんだろう。高校の先生から、そして、さまざまなところに。

ぼくが、ナパーム・デスとか、テロライザーとかを教えてくれたMさんのところに行った。

<ナパーム・デス>

<テロライザー>

すると、よくわからないが「帰れ」といわれた。

その、だいぶあとで、ぼくは、そのMさんは、当時、ひどく大変で疲労していたことを知る。しかし、こちらは当時18歳なのだ。いきなり「帰れ」といわれたら、どう処理しようもなかった。

Mさんは、いま、何をしているだろう。

ぼくは、いま、通常の書き手がするように、この話を「良い思い出」のように対処したい衝動に駆られている。たとえば「Mさんとは、その後に和解したのだ」とか「Mさんと氷解した」とかだ。しかし残念ながら、それから何もないままでいる。

ぼくは18歳だった。

そこから、高校に行って、当時の先生たちに大学に合格した旨を伝えた気がする。そのときに、たまたま、居合わせた女子生徒がいた。なぜだかわからないが、そのときぼくは、Mさんのことをその女生徒に伝えた。きっと、誰かに聞いてほしかったんだろう。

すると、その女子生徒は「男のひとは、大人になると、さみしいね」といった。

ここからぼくは何の教訓も引き出す気がない。ただただ、「男のひとは、大人になると、さみしいね」といったのだった。ぼくはラウドミュージックに救われたが、しかし、それで完全には救われない人もいる。

たしか、能天気みたいな快晴の日だった気がする。

合格発表の通知を伝える高校のなかは幸せが充満していた。ぼくは、くらくらと目眩がしてきた。ぼくは、友だちと共有していたライブハウスの幻影をひたすら思いつめていた。

ぼくが新たなバンドのCDを紹介しても、どうも、みんなは次の大学生活準備にだけ忙しくて、それどころじゃないようだった。

もう、高校時代に楽しんだあれこれからも卒業してしまったようだった。

さびしかった。

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