日本の調達部革命論(坂口孝則)
私が現場の調達部員だったころ、重要な会議のタイミングで私の上司であるマネージャーが体調不良で休みました。どうしても必要があり、もっとも下っ端の私が会議に参加しました。その会議で、部長から、私の上司であるマネージャーがいなかったので、私に資料を作成するよう依頼がありました。
1時間後に、私は部長に声をかけました。部長は「資料が完成してから来てくれ」といいました。私は「いえ、完成しました」と伝えました。「え、この1時間で?」。
これがすべてのはじまりでした。
私は、資料作成が異常に速く、なんでも依頼されたら、ぱっと論理を構成し、資料を作成してしまっていました。「おい、これ、1時間で作ったのか」「はい」。そんな会話が続きました。
部長は私の資料を見て、「おお。なら、これ、報告してくれるか」と言って、そのまま役員報告の場に連れて行ってくれました。それからというもの、部長は、私のマネージャーに「あいつを貸してくれ」と、ことある毎にいってくれました。
部長から突然に「こういう資料を作ってくれないか」と依頼がある。「わかりました」とだけ答え、本来の業務とは別に、高速で資料を作成し部長に渡す。そんじょそこらのマネージャーよりは資料の完成度が高いものですから、次々に依頼がきます。さらに私が断りませんから、部長は私に依頼を続けます。それがずっと続きました。
ことあるたびに「次もお前が直接、役員に説明してくれ」といわれ、若い私は会社のなかの檜舞台に立ち続けました。いまから思えば、大変に稚拙な説明だったにもかかわらず、です。
その都度、私は、通常の社員が触れることのない情報に触れ、そして、部長から直々に英才教育を受けました。そこらへんの20代は、ほとんどマネジメントや経営について考えることはありません。しかし、私はそうではなかった。とにかく、なんでも情報に触れざるをえませんでした。すべてを吸収し、大げさにいえば頭角を現したかったのです。
このことを同僚から「お前は大変だな。あんな余計な仕事を任せられて」といわれました。意味がわかりませんでした。こんなに面白い仕事を、最年少でやっていたのです。それからも、私はずっと最年少で、いろいろな仕事をやりました。が、違う誰かにいわせれば、私は、余計な仕事をしていたらしいのです。
「あなたは思ったより若いね」
私はそういわれながら生きてきました。はじめて出版社に行って、出版企画を見せたとき「二十代の若者がくるとは思いませんでした」といわれました。そして、テレビにはじめて出たとき、「30歳そこそこだったんですね」とスタッフからいわれました。研修会社から依頼されて面談したとき「もっと年配の先生だと思いましたよ」といわれました。
私は誰からも、若輩者認定をされたようです。私は、20代から、ずっと「若すぎる自分をなんとか認めさせる闘争」をしていたように思います。
そこから幾星霜。私は40代になりました。以前、倒すべき相手と思っていた、体制側の人間となったわけです(笑)。40代なんて、もはや世間的にはおっさんです。もはや、私は、もっと若く、生意気な人たちからの挑戦を受ける立場になりました。
ところで以前、私は調達・購買部員の集まりである「日本の調達部 会合」を実施しました。
↑ご参加者のご感想をまとめました。面白いですよ。
そしたら、若い方々がたくさんいました。私がこういうとイヤかもしれませんが、私のかつての姿を重ね合わせました。無鉄砲で、若さだけがあって、とにかく熱い。若い人たちから、私に無遠慮な質問が飛んできて、さらに、理屈を超えた情熱だけがある。
「坂口さん、あなたを倒しますからね」という、無鉄砲な感情が伝わってきました。いや、俺も負けませんよ、という妙な対抗心(笑)
この文章のテーマは「日本の調達部革命論」でした。どうすれば、調達部門を革命できるか。もちろん、若者の力によって、です。生意気な若者の力をすくいあげて、そして部門全体の雰囲気を変えることです。
私はあまりに生意気だったので、上の世代に意見をいうことを躊躇しませんでした。でも、思うに、あのとき部長が私をすくい上げてくれなかったら、成功体験を積むことはありませんでした。いま若い奴らは、優しい性格がゆえに何かを訴えようとしません。口をつぐむばかりです。でも、なんとか、その若い世代の本音を拾いたいですし、そこからしか本物の革命は起きないでしょう。
でも、組織として、若い奴らの意気込みを取り込まないと絶対に衰退します。ほんとうの調達革命は、若い奴らの意見を聞くことからはじまるのです。