日本製鉄のトヨタ提訴から見る今後の資材調達(蒼井蹴人)

2021年10月14日、日本製鉄は、ハイブリット車(HEV)や電気自動車(EV)のモータの材料となる電磁鋼板の特許侵害でトヨタ自動車と中国宝武鋼鉄集団の子会社である宝山鋼鉄を東京地裁に提訴したと発表した。

両社にはそれぞれ200億円の損害賠償を求め、トヨタ自動車には対象となるクルマの製造と販売の差し止めを行う仮処分を求めた。

トヨタ自動車は日本製鉄にとっては、最大級の顧客であり、両社とも日本を代表する企業である。特許侵害を犯した疑いがあるのは宝山鋼鉄であるが、その取引先であるトヨタ自動車が訴えられたことに、我々は強い衝撃を受けた。

いったい、この提訴の背景には何があるのだろうか。詳細を調べていくうちに、資材調達が直面する問題が見えてきた。

・電磁鋼板が問題となる背景

現在、HEVやEVには、永久磁石式の同期モータ(Synchronous Motor)が使用されている。これは、工作機械などで使用されるサーボモータと同様の形式である。工作機械メーカの多くはサーボモータを制御機器メーカから購入しているが、トヨタ自動車は内製する。

これは、生産量が莫大であることはもちろん、動力系を構成する主要パーツであり、小型化、効率化が必須だからであろう。実際、プリウスのモータは、初代から現行の4代目までの間に、容積は半分以下、出力は1.7倍になっている。

永久磁石式同期モータは、電磁石となるコイルが巻かれたステータ(固定子)と永久磁石が組み込まれたロータ(回転子)で構成されている。(図1参照)

高い磁束密度を持つネオジム磁石が開発された1985年以降、それまでの直流モータ(Direct-Current Motor)に置き換わり、精密な位置や速度制御が必要とされるモータの主流となっている。このステータとロータは、電磁鋼板を積層することによって形成される。電磁鋼板の表面には1~2ミクロンの絶縁被膜が構成されており、積層される電磁鋼板は絶縁されている。(図2参照)

高出力なモータには強力な電磁石(ステータ)と永久磁石(ロータ)が必要となるのだが、これを高効率なモータとするためには、いかに損失を減らし、入力する電気エネルギーをモータ出力として効率よく取り出せるか、また小型化できるかがキーとなる。特に、HEVやEVのモータに求められるスペックは、一般的なモータと異なり、始動時、登坂時の高トルク特性、最高速運転での高速回転特性が求められ、これを達成するためには電磁鋼板には以下の性能が求められる。

①  高透磁率(電磁石の鉄心となった時に高い磁束密度を保つ=低損失)

②  高周波励磁下での低鉄損(渦電流による損失を最小化する)

③  高精度加工可能な加工性(ロータとステータの隙間を狭くし磁気抵抗を最小化)

④  高強度(ロータを高速回転させるときに作用する大きな遠心力に耐える)

日本製鉄はこれらを実現する手段として、①の高透過率と②の低鉄損に対しては板厚を薄くすることで渦電流の発生を抑え、合金製分の調整、圧延方法や熱処理などの製法をコントロールし、結晶包囲制御や結晶粒径制御などを行った電磁鋼板を開発している。③の加工性についてはプレスでの打ち抜き性を向上させた絶縁被膜の開発、④の高強度化には※1ハイテン材(High Tensile Strength Steel)の技術を応用している。

(※1 一般構造用圧延鋼材であるSS400は引っ張り強度400MPa、ハイテン材は590MPa、780MPa、980MPa、近年ではそれ以上の1GPaを超えるものもある)

電磁鋼板(ちょっと前まではケイ素鋼板とも呼んだ)は1900年に鉄(Fe)にケイ素(Si)を混ぜると鉄損が非常に小さくなることが発見されてから進化を続け、1990年代のプリウス開発において高効率な電磁鋼板が必要とされた際、新日本製鐵(当時)がHEVに特化した※2無方向性電磁鋼板を開発した。

 

これは、結晶の並びがコントロールされ、無方向ではあるが鋼板の垂直方向(板厚方向)では磁化しにくく、水平方向(平面方向)にのみ磁化しやすい特性となっており、モータの高効率化になくてはならないものとなっている。

(※2 方向性電磁鋼板は磁気特性の方向が決まっているが、無方向性は決まっていない)

このような電磁鋼板の製造技術は一朝一夕には開発できず、今回、日本製鉄が特許侵害を訴えた点はここにある。

 

2020年7月13日、トヨタ自動車は宝山鋼鉄から電磁鋼板を輸入し国内で生産するHEVに採用した、と日本経済新聞が報じた。トヨタ自動車としては、HEV,EVの普及が見込まれる中で、調達先を多様化したいとの思惑であったようだ。世界一厳しい顧客がいる日本市場に投入する商品に搭載されることを前提に、トヨタ自動車の品質・性能チェックに合格したのであるから、電磁鋼板の性能は同等ということだろう。

その1年後、日本製鉄は宝山鋼鉄とトヨタ自動車を特許侵害で提訴することとなった。日本製鉄が素材メーカとして、先述のように苦労して開発した高付加価値商品の知的所有権を守りたいのは当然であるし、トヨタ自動車の完成機メーカとしての調達先マルチソース化も、BCPやコスト競争力の確保という点では必然だ。本原稿を執筆している2021年11月末の時点では、この問題がどのように決着するかは分からないが、いずれにしても両社の間にはサプライヤと納入先(顧客)ではなく、イコールパートナーとしての緊張感を生んだことは間違いないと思われる。

・カーボンニュートラルへの取り組みで上がる製造コスト

2020年10月26日、菅総理大臣(当時)は所信表明演説において、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを宣言した。産業界では、2000年代から脱炭素への取り組みは始まっていたが、改めて日本国としての目標となってしまった。

そもそも、鋼材の原料となる銑鉄は高炉で大量の二酸化炭素を排出しながら作られる。鉄鉱石とは酸化鉄(Fe2O3)であり、石炭を蒸し焼きにした炭素の塊であるコークス(C)が還元剤となる。鉄鉱石とコークスは高炉に投入され、コークスは同時に燃料となって950℃以上の高温とすることにより還元反応を起こし、鉄(Fe)と二酸化炭素(CO2)に分離させる。このとき、 銑鉄1kg当たり約2.2KgのCO2が排出される。

2019年度の日本のCO2排出量は、11億6百万トンであり、鉄鋼業の排出量は1億55百万トンと全体の14%を占める。産業部門としては全体の35%であるので、産業部門が排出するCO2の40%は鉄鋼業が占めている。(図3参照)

この問題に対応するため、製鉄における脱炭素の手法として考え出されたのが水素による還元だ。これは、鉄鉱石(Fe2O3)の酸素(O)に水素(H)を結び付け、鉄(Fe)と水(H2O)に分離する方法である。しかしながら、高温でないと還元反応は起こらないため、燃料となるコークス(C)は必要となる。当然、コークスによる還元反応も起こりCO2が発生するため、高炉から出るガスのCO2を分離・回収し、外に排出されないようにする必要がある。

水素による還元については、2008年から新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託研究開発プロジェクト「COURSE50」として、高炉メーカのオールジャパン、日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所、日鉄エンジニアリングの4社で技術開発が行われている。このプロジェクトでは、2030年までに1号機を開発しCO2排出量を30%削減、2050年までの実用化を目指している。現在、日本製鉄君津製作所構内に試験高炉が建設され、2017年にはCO2排出量10%削減の目標を達成した。

これに関連し、日本製鉄は2021年3月5日に発表した中期経営計画において、100%水素による直接還元鉄製造に挑戦する旨を著し、ゼロカーボンを目指すと宣言した。つまり、2008年に目標設定したCOURSE50の二酸化炭素30%削減ではなく、100%を削減するとしたのだ。その技術開発には5千憶円の研究開発費、設備実装に4~5兆円の投資が伴う。ただし、ベストケースでも粗鋼製造コストは現状の倍以上になるという。

 

・資材調達が直面する問題

今回のトヨタ自動車提訴には、このような背景が少なからず影響しているのではないかと考えられる。日本製鉄は否定しているが、付加価値の高い電磁鋼板は収益の柱であり、生産拡大のため九州・瀬戸内地域に2019年から累計1,230億円にのぼる設備投資を行ってきている。日本製鉄が折れることは、ほとんどないだろう。

以上から、鉄の価格は上がり続けるだろう。トヨタ自動車は鋼材のプライスリーダであり、日本製鉄とトヨタ自動車の交渉で決まった金額をベースとして、他の企業の購買価格や市場価格が決まっていく。原料の鉄鉱石と石炭は需給の関係で価格が決まり鋼材価格に反映されるため、鉄鉱石相場の高騰を受け2021年度下期は1トンあたり2万円も価格が上がった。市中で購入できる鋼材も概ね1トンあたり2万円前後(2割前後)上昇している。鉄鉱石の相場が落ち着けば、鋼材価格は短期的には下がるだろう。しかし、カーボンニュートラルの項で触れたように、鋼材の製造コストは長期的には上がり続ける。

「鉄は国家なり」、「産業のコメ」と言われた時代はとうに過ぎたが、鉄の重要性に変わりはない。鉄の価格が上がれば、それを使用している全てのモノの価格は上がる。それに、これは鉄に限ったことではない。その他の工業製品も多かれ少なかれ脱炭素のため、コストアップが生じる。石油やLNG価格も上昇しているが、再生可能エネルギーの使用割合が多くなれば、エネルギーコストは更に上がるだろう。

脱炭素にはカネがかかる。そのカネは製品価格に転嫁されるため、全ての工業製品が以前のような価格で買えなくなることを示している。2021年はモノがない上に価格が上がる一年であったが、バイヤー受難の時代は今後も続く。既に多くのバイヤーは肌間隔で捉えていると思うが、我々はこのモノの価格が上昇する時代に備えなければならない。

コスト削減のためには、今にも増して開発購買型の手法が必要とされるだろう。更に、今回の提訴はレアケースかもしれないが、知財についての知識もバイヤーに要求される時代となってきたのかもしれない。

加えて、これからは調達戦略とは経営戦略になるだろう。今回の問題は、電磁鋼板がコモディティー化したと見てマルチソース化するか、それ以外の技術も含め、将来を見すえてパートナーサプライヤと共に歩むか、という経営の選択である。トヨタ自動車は鋼材の調達先の多様化を考えているとの報道もあるが、共に切磋琢磨し、新しい技術を開発してきた者どうしが袂を分かつことはないだろう。

とはいえ、サプライヤが主要顧客に対して一線を引いたのも事実。当事者ではない我々が一番気になるのは、鋼材価格への影響である。今後もこの問題については、動向を見守っていきたい。

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