5章-1:仕組み・組織体制
仕組みの重要性
江戸時代、住宅の間口は小さかったといいます。なぜでしょうか。それは税金の計算を簡略化するために、間口の大きさで規定したからです。その計算式が知られるにつれて、まったく住宅としては無意味な間口になったわけです。
また、アンネフランクの自宅は窓が少なかったといいます。これも税金を計算するために、住宅の窓で計算していたためです。税金というのは、一般大衆からすると痛みにほかなりません。だから、制度が、ある意味、住居文化を形作っていました。
それは行政の手間を考えると、やむなきことだったのかもしれません。しかし、倫理感ではなく、評価制度が規定されている以上は、対応策としては庶民のほうも、そうせざるをえません。
私が経済学部出身のためかもしれませんが、ひとびとの倫理を問うのではなく「ある評価制度をとったら、人間はその枠組のなかで最大利潤を得ようとする」と考えます。倫理よりもシステム。感情よりも勘定で人間は動くからです。
いや、本来は倫理感が高くあるべき調達・購買部員もそうではないでしょうか。こういう基準で評価しますよ、といったら、その評価制度で最高のパフォーマンスを考える。そこで思い出すのは、私の属していた調達・購買部門です。そこでは、部員の評価は、コスト削減でした。コスト削減の基準は、見積書からいくら下げたかでした。そうなると、どうしても、「最初の見積書は、概算でいいから出してよ」と取引先に依頼することになります。
また、市況が下がりやすい製品を担当している人間は高評価で、せっかくがんばっているのに現状価格維持の担当者は低評価という、地獄に陥ります。どうすればいいのでしょうか。望みのないことですが、上司がちゃんと見てあげるしかありません。そして、「評価制度はこうなっているけれど、ちゃんとそれ以外でも評価しているよ」と示すしかありません。また、完全に矛盾しますが、やはり一人ひとりが倫理感をもつしかありません。
そして馬鹿げた提言ですが、評価されなくても、自分の経験は将来に活きると信じ込むことです。いや、ほとんどの物語は、抑圧され評価されない自分の立場を、ありのままに見つめ「それでもなお」と立ち向かっていくことからしかはじまらないのではないでしょうか。
大人になる、とは、物事をうまくやりすごすことではなく、評価されずに悔しい涙をこらえて眠れない夜を過ごすことではないかと私は思います。マネージャーには評価項目外のことも評価してもらいたいと勧めつつ、同時に不遇の調達・購買担当者には、その不遇を将来への軌跡の起点にしてもらいたいと私は思うのです。