4章-7 モチベーションゼロの仕事術
【②準備編つづき】
次に、呼吸後の体、とくに表情についてふれたい。ここで、他者がなぜやる気やモチベーションがないように「見えてしまう」のか、について考えてみたい。答えは簡単だろう。「そんな表情をしているから」だ。
ニコニコしたひとが、やる気やモチベーションが完全に欠如している状態を私たちは考えにくい。満面の笑みで、「いやあ、人生は絶望にあふれている」と心から思っている状態も考えにくい。これは、心と体が一体化している証左でもある。
たまに「ひとは見かけによらない」という。それは、すなわち「ほとんどの場合は、見かけどおりだ」と意味する。昔から、ひとの表情を読み、様子や心情を推し量ることは常だった。暗い気持ちは、ひとの表情を暗くし、そしてその暗い表情をとることで、さらにひとを落ち込ませてしまう。
ところで、子どもが「痛い!」と叫びながら、笑っていたらどうだろう。それは、子供が完全に狂っているか、あるいは「痛い!」の用語の使い方をふたたび教えてあげる必要があるだろう。
いや、正確には、「痛い!」ということと、笑うことを両立することが、できないわけではない。しかし、私たちはそのときに子供に「痛い!」という以外の何かの概念をあてはめさせようとするだろう。私たちが定義した言葉と、外面上の様子の矛盾を私たちは無意識のうちに回避しようとするのだ。
哲学者のウィトゲンシュタインの言葉を借りれば、私たちはそのような「言語ゲーム」のなかにいることになる。おそらくSMプレイ(注・男女の権力構造を現実から逆転させ、権力者の女性がゴム製の道具を利用し、被支配者の男性を痛めつける遊戯)における「痛い!」が特定のひとたちの愉悦であるのは、その遊戯が日常の「言語ゲーム」から逸脱しており、非日常的な経験であるからだろう。ただ、これは哲学の解説書ではないので割愛する。
私は、暗い気持ちのひとは、暗い表情になるといった。ここで注意せねばならないのは、気持ちは自覚的であるものの、表情については無自覚的なことだ。
あるコールセンターでは、無数のクレームに対応する女性たちの多くが、心を傷んでいたという。そこで、そのコールセンターでは、女性たちのそれぞれのパソコンの隣に鏡を置いた。クレームを受けて、しゅんとした女性たちは、その鏡を見て、自分の表情の落ち込み具合に驚いたという。無自覚のうちに変わり果てた自身の顔。女性たちは、自分の顔がこのままではいけないと笑顔を作り、そこからふたたびクレームに対応し続けたという。
このエピソードを、「女性たちを強制的に労働させるしかけの妙」と読んだひともいるだろう。また、それは「単に使い捨てにされる女性たちの哀歌」ではないかというひともいるだろう。私がいいたいのは、その両方でもなく、表情によって自分を変えたその一点にある。
さきほどの呼吸に続けて、やってもらいたいのは、これである。
そう「笑顔」だ。
それもマンガのように「ニタニタ」した笑顔。
大きく呼吸をする。そして、この笑顔を作る。「逆境のときほど笑っていろ」という格言は正しい。それは、この笑顔=表情=体をまず変化させることによって、心に影響を与えようとするからだ。