2章-8 モチベーションゼロの仕事術

私は、仕事を「求められること」「やれること」「やりたいこと」の三つにわけた。「やりたいこと」をあまりにこだわりすぎると、「求められること」から離れていく。お金から離れていく。儲かっていることが、そのまま「求められる総量が多い」とはいえないかもしれない。また、儲かっていることが、必ずしも幸せにしたひとの量を比例的に表現していないかもしれない。ただ、自分が愉しく仕事をする意味でも、お金や報酬はやはり大切だ。

よく、「お金のために働いているわけではない」と語るひとがいる。しかし、それらのひとが最低生活費以外を、募金している例を知らない。結局は、お金のために働いているわけだし、それが正しい。私の経験でも「お金をもらっている」と自覚するひとのほうが優れた仕事をし、「お金のために働かない」ひとたちは、仕事にそのぶんの甘さが露呈していた。

お金もやりがいも、一つの価値にすぎず、どれか一つをことさら強調し、そのうちの一つを卑下することは、私にとってどこか下品な行為のように感じられる。それに、「お金のために働いているわけではない」のであれば、それは強調せず、周囲にそう悟られないようにすべきだろう。

さきほどのIT起業家の知人の例に戻る。私は彼から、ほとんど儲からないけれど、少人数のお客を相手に愉しくやっているよ、と聞かされる。そのたびに、そんなわけはないだろう、と思う。少人数であれば、客単価をあげる努力をすべきだろう。客単価があがっても、その少人数にとって価値があるものか、あるいは低価格だからつきあってくれるかを見極める冷静な目が必要だ。あるいは、大衆に求められるサービス開発に努めるべきだろう。当たり前の客観性が担保できなくなるのは、危険な徴候だ。

ちなみに、私はよく他人をうらやむ。特に成功したひとには憧れる。世の中は「自分は自分。他人をうらやむなんて止めよう」とする空気が充満している。たしかに、私はひとのいうことを聞かないときが多い。しかし、特定の誰かをうらやむ程度の「強さ」はもっている。

自分とその誰かをくらべて、絶望的な感情を抱いたり、不安になったりすることがある。ただ、その絶望や不安や哀しみといった感情が私は気に入っている。むしろ、そのような感情を抱いてしまう自分を肯定しようと考えている。しかし、いや、だからこそ、ある種の諦観を抱き、たんたんと仕事ができる。

無理にポジティブシンキングを持ったり「いまのあなたはいまのままで完全です。だから不安や哀しみは感じる必要がない」と思ったりするほうが、不自然だ。おそらく、絶望や不安や哀しみとは、人間のDNAに刻まれた自然な感情で、それゆえにひとびとは、それらの感情を少しでも良い方向に向かわせようと工夫して、これまで生きてきた。むしろ、「不安や哀しみを感じて、やる気やモチベーションがなくっても、そのままでいいじゃない」と肯定したほうが気分がラクになる。

少なくとも、変わりもしない自分の性格を無理に改造しようとして徒労に終わるよりは、ずっといい。私の書いた意味での「怨恨」に陥らず、むしろ適度にネガティブな感情をもったほうが、それがゆえに、たんたんと仕事の改善もできるし、いかにして他者に認められる仕事ができるか考える。

常にポジティブに無理なモチベーションを持とうとするからこそ、逆説的に、行き詰まる。

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