2章-7 モチベーションゼロの仕事術

さらにそのときに、メジャーデビューしている他者へ、むしろ哀れみの気持ちを抱いてしまったとしたら、その怨恨は完成されてしまう。「メジャーデビューしている他者はうらやむ対象ではない、むしろ侮蔑する対象なのだ」と自分自身に言い聞かせることによって、彼女のなかで敗者と勝者の価値観は転覆する。これほど奇妙な復讐があるだろうか。それは世の中への復讐であるにもかかわらず、復讐という自覚すら伴っていない、奇妙なものなのである。

もちろん、「そう思わないと生きていけないでしょ」という指摘はよくわかる。それに、私も「敗者であることを認めずに、自己を肯定すること。そうしなければ、きっと生きていけないときはたしかにある」と書いた。

しかし、私の疑問は、「自分が負けたことを認める程度に、なぜ強くなれないのか」ということと、「せめて他者をうらやむ程度に、なぜ強くなれないのか」という点にある。そのような倒錯した復讐をしかけなければ、生きていけないのかもしれない。ただ、それはあくまでも「倒錯した」復讐だ。

その意味では、図のなかの③が、④に移行するのは、まだマシといえるかもしれない。④にいたれば、そこからまずは①を目指し、「お金になり、認められる」仕事への憧憬もありうるだろう。しかし、③が状況を肯定したうえで、価値観を転覆させてしまい⑤に移行してしまえば、手のつけられない状態になってしまう。

私のまわりにも、自分の夢を追いかけつつ、その夢を果たしたひとに対して、心のなかで倒錯した復讐をしかけるひとたちが多い。

私の知人にIT関連で起業をした男性がいる。当初は、SNSの世界に衝撃を与えることだったが、TwitterやFacebookの台頭によって、誰も日本独自のSNSなど使わなくなった。一流企業を辞めた彼の年収は、起業後に300万円程度を超すことはなく、定期収入もジリ貧に陥った。

しかし、彼はじきに、価値観を転換した。IT分野で成功している他者は、うらやむ対象ではなく、「大衆を相手にしているために、自分の好きなことができない可哀想な」ひとたちになっていった。大勢を相手にするのであれば、保守的なサービスしかできない。ただ、自分は限られた相手に、先端のサービスを提供している。これこそが自分の生きる道だ、というのだ。

多くの場合、「マニア好み」という形容詞は、単にメジャーになれないクオリティの作品しか作れない自分にたいして、開き直りとして使われる。

なぜ、ただただ他者を肯定することができないのだろうか。劣った自分を肯定することができないのだろうか。

もちろん、場合によっては、自分のなかの価値転換によって生き延びることもできるだろう。いじめられた子供が、心のなかで、いじめっ子を「ほんとうは可哀想な人間だ」と心のなかで思うことはありうる。能力ではなく、暴力でしか自己を誇示できない卑劣ないじめっ子は、いじめられっ子にとっては憐れむ存在だろう。いや、いじめられている子供たちにとっては、内部でそのように価値を転覆させないと生きていけないだろう。いじめられている子供たちは、価値観を倒錯することによって、心のなかでのみ圧倒的な勝利をおさめるのだ。

しかし、そのように価値の倒錯を行う必要もないひとたちが、価値の倒錯をおこない、怨恨にとらわれることに、私は大きな違和感を抱く。(おそらく)多くの職業人は、自殺を考えているいじめられっ子ではない。価値観を無理に倒錯する必要はない。むしろ、怨恨にからみとられることによって、より深みにはまっていくだろう。

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