2章-6 モチベーションゼロの仕事術

仕事の用事があり、渋谷を歩いているとき、道玄坂近くで足を止めた。

そこには、一人の夢を追いかける「アーティスト」がいた。年齢はまもなく30歳になるくらいだろうか。女性だった。ギターをもって、小さなスピーカを使って歌っていた。

ひとびとはまばらだった。20分ほど歌ったあとに、CD―Rで焼いた自作アルバムの宣伝をした。一人の女性が買っていた。だけど、それだけだった。

そこには、たしかに夢を追いかけている一人の人間がいた。

このような女性の姿を見たときに、私は表現できない感情を抱いてしまう。私は、前述の論をつなげて「そんな年齢まで夢を追いかけるな」というべきだろうか。おそらく、その表現は陳腐すぎる。ただし、「夢はいつかきっと叶うんだ」といってしまうのは、もっと陳腐だ。

怨恨(ルサンチマン)という言葉がある。怨恨とは深い嫉妬心であり、うらむ心のありようである。その女性が、30歳をこえて、それでも世間から輝かしい注目をあびなかったらどうなるだろう。人間は自分のなかで価値観を変えざるをえない。敗者であることを認めずに、自己を肯定すること。そうしなければ、きっと生きていけないときはたしかにある。

もし、その女性が同世代、あるいは下の世代の女性シンガーが華々しくデビューしている姿をうらやましく眺める場合がそうだ。ただ、私はそれが「怨恨」であるとは思わない。さらに進んで、その女性が「メジャーデビューなんて求めていない。インディーズで、こんな風に路上で歌っているほうが、リアルな私を見てもらえる」と思ってしまったらどうだろう。これでも私はそれが「怨恨」だとは思わない。

ただし、その女性が「いや、メジャーデビューしない生き方こそが、私にとってよいことだったんだ」と自分の生を肯定してしまったとき、言葉を変えれば倒錯した価値観を創出せざるをえなくなったとき、それこそが「怨恨」に陥ってしまったときだ。

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