2章-9 モチベーションゼロの仕事術
ところで、このモチベーションの話をするときに、いつも出てくるマズローの欲求階層説がある。食欲・性欲・睡眠欲の生理欲求を底辺として、住居などの生理欲求、所属を求める社会的欲求、他者よりも優れてありたい自尊欲求、理想の自己に近づきたい自己実現欲求にわけるという、アレである。
ただ、これを見ると、いつも違和感を抱かずにいられない。たとえば、いまはTwitterやFacebookなどに見られるように、みんなさびしがって、社会欲求がすべてを凌駕しているように思えるし(そうでなければ、フォロワー数や友だちの数を無意味なほどに追い求めることはないだろう)、睡眠欲などはほんとうに欲求といえるかあやしい(望もうが望まなかろうが勝手に寝てしまうからだ)。
このマズローの欲求階層説を認めたとしても、ときには社会的欲求が自尊欲求よりも上位にありうることが想像できるし、それに、そもそも社会的欲求以上をもたないひともいるだろう。ただ、一番の問題は、自己の考えを固定的に規定したことにある。階段状に自己実現を達成しようとしたって、その内容は常に移り変わる。夢を追い求めたひとが、その自己実現をあきらめ、違う道に進むことだってある。そうしないと、さきほどの「怨恨」にとらわれたひとになるだけだ。
マズローの欲求階層説を見て、高次の欲求に高貴さを感じることがあれば、それは「自己実現こそ至上」とする時代の影響を受けているだけかもしれない。「求められること」「やれること」「やりたいこと」のうち、「やりたいこと」があまりに高評価されている感が拭えない。主観があまりに重要視されているのだ。
もちろん、あとから振り返って、やってきた仕事は「やりたかったこと」=「実現したかったこと」と誤解するのは良い。しかし、それは事後的なことで、事前的なことではない。
では、仕事を「求められること」「やれること」「やりたいこと」にわけるとして、その「求められること」はどうやって見つければいいのだろうか。
それはいたるところの求人広告にあふれている。誰かがお金を払って誰かを雇いたいというあれである。これほど簡単な「求められること」探しはない。会社員であれば、目の前の仕事が間違いなく「求められること」だ。企業は、必然性があって、猫の手も借りたいからひとを雇う。触れ合うひとたちは、取引先であったり、上司であったり、誰かを求めているようには思えないかもしれないが、たしかに働き手を求めている。
もしくだらない仕事でも、それをこなすことが「求められている」という一点で、輝きはじめるだろう。