6章-9 モチベーションゼロの仕事術

(3)「あれかこれか」の二項対立から脱却し「あれもこれも」の思考に切り替える

都は自分の夢の達成か、あるいは敗北か、の二項対立にがんじがらめにされていた。(1)や(2)で説明したとおり、この思考はひとを怨恨と不安におちいらせる。現在において、夢を声高にさけぶ者を正面から批判することは難しい。ほんとうは、夢を追いかけるひとも、夢あきらめたひとも、ひとしいはずなのに、なぜか私たちは前者を褒めたたえてきた。

ただし、夢をあきらめ、違う道に歩みはじめる決断の尊さはもっと評価されていい。いや、その意味でいえば、新たな道こそが、「ほんとうに自分が歩むべき道だった」と誤解することの素晴らしさはもっと強調されていい。

そういう私も、以前は「ほんとうの自分」なる幻影を探すひとりだった。希望せぬ就職先で失意の日々を送っていたところ、そのわずか数年後に景気が浮揚し、各社の新卒枠が一気に広がった。おそらく、数年遅く(あるいは早く)生まれていたら、きっと希望する就職先に入ることができただろう。そう思ってしまうのは必然だった。個人は時代の影響を受ける。みなが大切だと感じている、やる気やモチベーションも時代の創作物であるとも説明した。しかし、それでもなお、やりきれない私は22歳のころ、異業種交流会でサラリーマンの先輩諸氏に相談した。そのころは異業種交流会などにいって、なんとか現状を脱しようともがいていたのだ。

そのとき、大企業で最年少の役員に就いていた某氏に時代の不遇について打ち明けたところ、一喝された。氏いわく、それは「たわごと」だと。ほんとうの自分などどこにもありはしない。目の前の仕事を必死にやることからしか次の展望はひらけない。私が、「でも、就職とか転職とかって、時代の波の影響を受けますよね」といったところ、「それは、いいところに就職するか、しないか、だけで考えているからだ」とさらに怒られた。

そのひとは、五分わけでメガネをかけていて、見た目からは敏腕と思えなかったけれど、たしかに力強い言葉をつむいでいた。彼は、最後に笑って私に「でも、安心しろ。時代がどんなに影響したって、そのひとが努力していたら、いつか世間が認める。スタートがどこであっても、どんな仕事に就いていても。その程度は、世界は柔軟にできている」といった。

たまに私はこの言葉を思い出す。

あれか、これかの思考法は、ひとを視野狭窄にする。イエス・オア・ノー、あるいはオール・オア・ナッシングではなく、あれもこれもの選択肢がきっとある。特定の道を断念したとしても、違う道に歩んだほうが、むしろ幅が広がり、愉悦をもたらしてくれると信じる賭けに似た心情。そして、その愉悦は、「やりたくもない」だけど「まわってくる仕事」に隠れている。

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