6章-8 モチベーションゼロの仕事術

(2)常に不安であることを恐れない

地は希望する仕事に就くことができなかった。かつてなら、就業希望者 < 需要 だった。しかし、いまでは新卒であれ、第二新卒であれ、転職であれ、必ずしも望んだ仕事に就けるとは限らない。いや、希望する就職先に入る比率は低いだろう。

本書で、逆転経済についてふれた。企業は、商品を販売し売上高をあげることができず、その利益補填として、しわよせが労働者にむかう世界。消費は労働となった世界。さらに、経済成長は右肩上がりをやめ、左肩上がりになった世界。そこではやる気やモチベーションが発明されるにいたった。

ひとの希望とは、今日よりも明日がよりよいだろう、と思う幻想に支えられている。その意味では、今日よりも明日がより悪くなると思えば、希望はついえてしまい、不安がつのる。明日よりも、今日がまだマシだろうと考える逆転した思考。気鋭の社会学者である古市憲寿さんは、著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)のなかでその構造を描いた。

私は、今に集中せよと、いっけん刹那的に見えながら、長期的には個人に愉悦をもたらす仕事術について述べてきた。しかし、不安はつきまとう。不安を抱くなといって消えるほど簡単ではない。

そこで私が勧めるのは、そのような不安をいだく自分を肯定することだ。不安にがんじがらめにされて身動きがとれなくなることもある。がたがたとふるえ、自分のあたまのなかが、表現できない不安と恐怖にむしばまれることもある。そんなときに、心にアプローチしてもムダだ。体側にアプローチし、そして同時に不安を払拭しようとするのではなく、その不安を受け止め「まあ、こんな自分だけどしかたないよな」とあきらめることだ。

少なくとも、現状を否定するよりも、気持ちはラクになる。何かにあせったときは、「あせっても現状は変わらない」とあきらめよう。このあきらめと、意図的な鈍感さこそ、逆説的に高貴な感度だと私は思う。

地は失敗と不安の原因を、社会にもとめた。もちろん、一時しのぎとして、そう考えざるをえないことはあるだろう。そう合理化しなければ、生きてさえいけない瞬間はあるかもしれない。しかし責任は、社会でも特定の誰かでもなく、自分にしかない。失敗をそのまま認め、不安をいだく自分とつきあっていくことしか次の一歩は踏み出せない。

究極的にいって、社会が自分にくだす「くだらない」「とるにたらない」評価は間違いかもしれない。ただ、社会がそう評価していることだけは事実だ。それに社会が悪者であるとしても、もしそうであれば社会全体が変わらないかぎり、その問題は解決しないことになる。

しかし、無能で弱い自分であっても、肯定することはできる。

誰にだって、できる。

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