0章-8 モチベーションゼロの仕事術

二つ目。会社での成績があがる。

たくさんの仕事をこなせるひとと、こなせないひと。どちらの評価が高いかはいうまでもない。

もちろん、仕事の量が必ずしも高評価は呼び寄せない。たとえば寡作の作家が数少ない作品で名声を得ていることもある。職場にふらっとやってきては、天才的なヒラメキで創造的な商品を創りあげるひともいるだろう。そういう例外の存在は否定しない。ただ、私のような凡人は、その領域で闘うことは、ある種の「リスク」である。

100の仕事をこなして、10の成功を導くとする。天才は10の仕事で10の成功を導くだろうけれど、凡人は分母を増やすことで確率をあげることが一番だ。また、一般的に天才だと思われているひとも、影では想像を絶する作品を創りあげていることは多い。有名なところでは、安藤忠雄さんが著書『連戦連敗』(東京大学出版会)で、あるいは柳井正さんが著書『一勝九敗』(新潮社)で、成功やヒットの裏に数多くの失敗があったことを告白している。よりクリエイティブと思われている作家業でも、たとえば清涼院流水さんは、著書『清涼院流水の小説作法』(PHP研究所)のなかで<大した苦労もせずに作品を量産しているように見える「天才作家」たちの真の姿は、例外なく、「血のにじむような努力をし続けている作家」です。たとえば、「ヒマ潰しで編集部に原稿を持ち込んだら、たまたま作家になってしまったんです」という美しい成功物語を語るある人気作家は、実は、作家になりたくてなりたくて仕方がなくて、何度も応募と落選を繰り返していた隠匿された過去があります。(25ページ)>と述べている。彼らに共通しているのは、多くの仕事をこなし、そのなかでヒットを生んでいることだ。

結局、強いのはコツコツとやり続けることができるひとだ、と私は思う。仕事を依頼する側に立っても、「調子に乗っているときは仕事ができるけど、それ以外のときはさっぱり」な部下と、「常にコツコツと仕事をこなすことができる」部下であれば、長期的にはどちらが頼りになるかは明確だ。

私は、だからといって、仕事の質を無視したいわけではない。ただ、少なくとも私が見る限り、仕事の質の大半は量の経験によってあがる。量より質を勧めるひとたちも、若年のころには多くの仕事をこなした歴史をもっている。また、仕事量が一定だったとしても、やる気やモチベーションなく仕事に取り組むほうが、結果として時間は短く済むだろう。

ちなみに、私は「やる気やモチベーションがないから」こそ「仕事に早くとりかかったほうがそのぶん早く終わるから、そのひとにとっては良いではないか」と考えるのだが、遅々として仕事にとりかからず、暗鬱な気持ちずっと持ち続けるひとが多い。

 

三つ目。周囲に好影響を与えることができる。

あるひとから、夢や目標を聞かされる。その話が感動的であれば、心奮い立つことがある。しかし、それは他者のものであるという一点で、やはり継続的な効果があるものではない。その日の調子やモチベーションによって仕事をサボったり、中断したりする先輩や上司よりも、常に仕事をこなしている先輩や上司のほうが周囲に好影響を与える。

たとえば、工場作業者がその日の調子で、作業を手抜きしたり、作業を間引きしたりすれば、とても生産はおぼつかない。もし、そんな社員がいれば、働く場所はなくなるだろう。その意味で、やる気やモチベーションで、自分の仕事の出来を左右するというのは、ホワイトカラー特有の贅沢な悩みということもできる。

これも、ひたすら仕事だけをやれ、という意味ではない。規定量があれば、その仕事を時間内に終わらせて、颯爽と帰宅する先輩たちがいたほうが、先輩たちがダラダラと残る職場よりも、ずっと好ましい。

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