4章-2 モチベーションゼロの仕事術

ところで、「勝手に自分の体が動いて仕事をしてくれないかなあ」という願望。この願望は示唆的なものであるように私には思われる。それは、「やりたくない」と思っていながら、かたやいっぽうでは同じ心のなかで「しかし、やらねばならない」とも思っていることだ。目の前の仕事を「やりたくない」し「やるべきでもない」と心で強く誓っている状態は、少なくとも私には想像が難しい。その場合は、やる気やモチベーションの問題ではない。「やるべきでもない」=倫理的・社会的におかしい仕事自体から離れることを考慮すべきだろう。

かつての章で私は、「やりたい」「やりたくない」にたいして、「お金になる、認められる」「お金にならない、認められない」をあげた。ここでは、軸を若干変更して「やりたい」「やりたくない」に「やるべき」「やるべきではない」をあげた。

その意味では、私がこれから述べるモチベーションゼロの仕事術は、「やるべき」仕事をやる、すなわち2→1の動きを狙う。そして、いつの間にか「まあまあ愉しいし、やりたかったことかも」と誤解することを目指す。

あるいは、「やるべきではない」(たとえば非生産的なゲームや時間を浪費するだけのインターネット閲覧など)ことを止めて、「やるべき」仕事をやる、3→1の動きを狙う。それによって仕事の効率化を図っていく。

このときに、4だけをこなす術は私の範囲外である。つまり、「やりたくもない」し「やるべきでもない」を成すすべはない。この「やるべきではない」はじゃっかん、主観的にならざるをえないかもしれない。私は、これを倫理的・社会的におかしい仕事と説明した。ただ、それほど大きな意味ではなく、小さな意味でも、「やるべきではない」は転がっている。その代表的なものは会議だろう。何を決めるのかもわからない、なぜ呼ばれたかもわからない会議がこの世にはあふれている。会議術は別の本に譲るとして、簡単に「やるべきではない」仕事かどうか判断する基準は、次の三つだ。

  • 【代替性】:自分がやらなければ(参加しなければ)、結果が悪いほうに変化するものか
  • 【時間性】:いつかはその仕事をすることになるか。しなくても問題がないか
  • 【価値】:その仕事をどうやってもお金にならない、あるいは認められないとわかっているか

たとえば、自分が参加しなくても支障のない会議であれば、【代替性】から、それは「やるべきではない」。たとえば、時間をもてあそんでいるからといって書類の索引を作っても、今後そんなものを利用しないのであれば、【時間性】から、「やるべきではない」。また、絶対に失敗するとわかっているものは、【価値】から「やるべきではない」。

三つ目の【価値】については異論があるだろう。結論が見えないまま仕事にあたるのはよくあることだからだ。もちろん、ビジネスで100%の成功を約束されているものはない。ただ、私が指摘したいのは「やることに意味がある」的なる仕事だ。「失敗するにしても、できるかぎりやってみよう」と無意味な精神論を高揚させ仕事にあたる必要はない。

ほんとうに集中すべき仕事。それにこそ、モチベーションゼロの仕事術の意味がある。

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