4章-1 モチベーションゼロの仕事術
ここからモチベーションゼロで仕事をするための具体論に入っていこう。
まず考えておきたいのは、「心」と「体」の概念だ。一般的には、この二者は別物だと認識されている。体が病めば、心も落ち込みがちになる。心配ばかりしていれば、体も蝕まれる。その程度の一体感は信じられているものの、ここでは大胆に「心と体は同じもの」としておきたい。
モチベーションとは、心の問題である。それなのに、心をいかに改善しようと努めても上手くいかない。心が「やりたくない」「頑張りたくない」といっているのだから、それを無理に操作することはできない。エンジンとブレーキを同時に踏むようなものだ。
多くのモチベーションアップ策は、「モチベーションがあればこんなにいいことがある!」「さあ元気を出して!」「心の持ち方を変えよう!」と鼓舞する。しかし、そもそも、そう思うことができないから困っているのだ。たしかに、これらの書籍や方法論はカンフル剤の役割を果すため、短時間であれば効果があるかもしれない。ただ、それは「カンフル剤」であって、かつ努力を必要とするために、なかなか長続きしない。努力に依存するものは、多くの場合は行き詰まる。
そこで、心の問題は、まず体にアプローチすることからはじめる。心と体が同じものであるとすれば、体を改善しているうちに、いつの間にかモチベーションがなかったことも意識から遠のく。そもそもモチベーションがあろうがなかろうが、体が動いてしまっているために、モチベーションの有無は問題にならない。そんな状況を目指していく。
このように書くと、「体が健全ではないと、働くことはできないのか」といったような反論があるかもしれない。「それは一種の障害者差別ではないか」と。しかし、私がここで述べる、体の改善とは、身体的に関するものではない。もっと簡単で単純なことだ。
たとえば、多くのひとは、「勝手に自分の体が動いて仕事をしてくれないかなあ」と希求することがあるだろう。自分のなかでやる気やモチベーションがなかったとしても、自動的に手足が動いて、目の前の書類を片付けてくれる。そんなイメージだ。
この願望は、心と体の分離を前提としている。実際には、心離れているときに、体だけ思い通りに仕事をしてくれることはない。それにそもそも、心が集中していないのに、体だけ動くというのは何を意味するかも、考えるほどわからない。むしろ目指すべきは、体だけでも動かしているうちに、心にやる気やモチベーションがあったかなかったさえ忘れ、そしてその時点でもそもそもやる気やモチベーションが必要であるかどうかさえ失念してしまう状態のことだ。