連載「2019年から2038年まで何が起きるか」(坂口孝則)

*2019年から2038年まで日本で起きることを予想し、みなさまのビジネスに応用いただく連載です。

<2038年②>

*この連載も最後の2038年を迎えた

・自己啓発の時代

現代は、自己啓発の時代だ。つまり、自分は無限の価値があると信じられている。

いわゆる自己啓発が可能になるためには、「自分で自分を変えられる」という前提がある。また、「自分で人生を決められる」ことも前提となる。すくなくとも、他者から与えられた作業だけをこなし、完全に決められたレールだけを歩くとすれば、自己啓発の余地はない。

親から職業を引き継ぎ、つべこべいわず、とにかく仕事をこなすことが求められ、それが当然だと思う時代であれば、自己啓発とは無縁だ。しかし、世襲がなくなり、食うだけならなんとかなり、何をやっても”自由”な私たちゆえに、逆説的に自己啓発が必要となる。

自己啓発誕生の舞台は1961年の米国だ。それまでの人間のありようを変えようとした二人の人物がいた。(マイケル・)マーフィーと(リチャード・)プライスだ。瞑想、東洋思想、宗教、哲学に興味があった二人は、1961年にカリフォルニアの保養地を訪ねていた。そこで二人は、その場所を、同嗜好のひとびとが集まる施設にしようとアイディアを出した。施設を改修し、宿泊施設をつくり、セミナーを開いて収益化する。そうすれば、好きな学問にも没頭できる。

マーフィーとプライスの構想では、そこでセラピーやセミナーが開催され、心理学や哲学などが研究され、深い人間理解が可能となるはずだった。その場所は、それまでのような学術体系とは異なり、人間そのものに焦点があてられていた。ここでは、人間そのものの神秘と可能性が研究対象であり、革新的なことだった。

ヒッピー文化も巻き込んで米国ならびに世界中に一大ブームを巻き起こす、ヒューマンポテンシャル運動(ヒューマンポテンシャルムーブメント)はここが起点であり、有名なエスリン研究所もこうやって誕生した。伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である――という当たり前は、こうやって生まれた。

エスリン研究所が神秘的で開放的なセミナーを開いていたとき、ベトナム戦争は泥沼化していた。それまでの保守宗教は現実を前になすすべもなく、あらたな”何か”が求められていた。

このエスリン研究所にかかわった人物として有名なのは、あのアブラハム・マズローだ。説明するまでもなく、マズローの欲求5段階説が有名だ。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求を経て、自己実現の欲求にいたるという、あれである。

エスリン研究所やヒッピー文化自体は、当時の勢いを残していない。しかし、自己啓発的なものは生き続け、さらに一部はビジネス化していった。

エスリン研究所は、ベトナム戦争の行き詰まりを受け、社会を変えるのではなく、自己を変容させようとした。そののちに、PCブームが到来した。そこではパーソナルコンピュータという小さな箱を使えば、実は社会や世界が変わることが明らかになった。しかし面白いのは、それが発展し、インターネットを生み、SNSを生み、サロン文化を生んだとき、等身大カリスマの情報発信がたやすくなった。そしてふたたび自己啓発はあらたな形で蘇ってきた。

・見えない宗教が救うもの

現代において、「ワークライフバランス」「仕事、キャリアの成功法則」「配偶者との処世術」といった悩みに解決策を与えるのは、もはや既存宗教ではない。等身大で語ってくれる、身近なカリスマだ。「あなたの痛みは正当だ」「あなたの傷は、誰もが感じている」「その痛みや悩みや苦境を共有しよう」と理解してくれるカリスマは、等身大でしかありえない。

信仰・祭祀費の支出推移を見てみよう。これは家計調査から抽出したものの、調査が新設された95年からのデータとなっている。誰かが、現代は「宗教の時代」といった。しかし、ほんとうだろうか。すくなくとも日本の支出を見ると、無信仰の傾向にある。

(↑信仰・祭祀費支出 *二人以上の非農林漁家世帯)

次に宗教法人数と信者比率だ。日本の文化庁がまとめている統計には、信者数のみ記載されているため、日本の総人口で割って信者比率とした。日本の宗教法人が自己申告した信者数を合計すると、日本の総人口を超すことはよく知られている。ただ、それを考慮しても、宗教法人数、そして信者比率(もちろん信者の数自体も)が右肩下がりになっているとわかる。↓↓

このところ「癒やしの時代」とか、精神面をことさら強調するひとがいる。しかし、前述したとおり、昔からひとは宗教に、争・貧・病からの離脱を求めてきた。その意味で、ひとは常に癒やされたいし、精神的に救われたい。

日本人のなかで、救いを求めるひとが少なくなったわけではない。そして、悩みが減ったわけではない。そんなのは時代が変わろうが、簡単に変わるものではない。教祖が変わっただけなのだ。

これまで、その役割を果たしたのはビジネス書などの著者だった。あるいは、テレビに出ている文化人だった。しかし、その少ない選択肢のなかでは、自分自身にマッチしたカリスマを見つけられない。ただ、無数の「カリスマたち」が情報発信する時代にあっては、マッチする可能性が高まる。

ファストフード的な食品供給では、平均的なマスは満足できても、美食家のあるいは特定の趣味をもった人びとを満足させられない。そこにはカスタマイズした、そしてきめ細かな対応が必要となる。

これは特別にあらたな動きには感じられないかもしれない。60年代、ヒッピー文化は、反企業、反資本主義、反消費を掲げて、ニューエイジや現在のエコロジーにも通じる思想を生み出した。実際に、そこでは文化的スターが脚光をあびた。ジョン・レノンに、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリンに、ドアーズ。

しかし、ベトナム戦争反対のデモを行ったり、インドに行ったり、または農村回帰するレベルであれば、なかなかコミットできない。また、エスリン研究所が科学的に学問研究をやったように、そこまで「マジ」なレベルで自己を変革したいわけではない。

しかし、オーガニックを好み、エコ消費を好んだり、悩みを共有してくれたり、そしてステキなライフスタイルを見せたりしてくれるほどには――カリスマを欲している。もともと団塊世代は学生運動、そして、いまの若者はSNSと、「つながり」行動を好む。

かつてからひとびとは、いまとおなじく癒やしや精神面の充実を求めてきた。その手段がモノからコトに変わった。そしてコトからヒトに変わっていった。他者や、あるいは身近な存在である「誰か」に直接、癒やしの提供を求め始めた。

そこで私たちは、大宗教から、小さな小宇宙のなかに漂う、まったく違ったカリスマを見つけ始めた。そして、帰依の方向を「生きる神」に変え始めた。

<つづく>

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