連載「2019年から2038年まで何が起きるか」(坂口孝則)

*2019年から2038年まで日本で起きることを予想し、みなさまのビジネスに応用いただく連載です。

<2037年①>

「2037年 トヨタ自動車が100周年」
これからのカイシャの形と評価軸を再検する年

P・Politics(政治):―。
E・Economy(経済):日本を代表する自動車産業各社が高齢を迎える。
S・Society(社会):人口は1億1000万人台に減少。会社のビジネスモデルと目標軸を見直すタイミングに。
T・Technology(技術):資金調達や自在調達も多様となり、価値観が重要となる。

トヨタ自動車が100周年をむかえる。日本には長寿企業が多い。それは、現代的には利益だけではない尺度の企業活動を暗に示していたともいえる。利益ではない株式会社の尺度は何か。さらにこれからの100年を考えるにあたって、新たな企業活動の活動尺度を考える年となる。

・トヨタ100周年

2037年にはトヨタ自動車が設立100周年、2038年に創立100周年を迎える。日本の顔、ニッポン株式会社にとって象徴的な記念年となるだろう。1937年は、日中戦争が勃発し、2年後に先の大戦が起きようとしていた。

トヨタ自動車は、もともと豊田自動織機製作所から分離して独立した。当時は、トヨタ自動車工業株式会社といい、創立総会は1937年8月27日に開催された(https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section4/item3.html)。もともと、豊田自動織機製作所は自動車製作部門を設置し、その当時、日本に普及していたシボレーやフォードと共通する構造で設計した。G1型トラック、AA型乗用車と発表した(https://www.toyota.co.jp/pages/contents/jpn/investors/library/annual/pdf/2014/p9_15.pdf)。

ダイハツ工業は発動機製造株式会社として1907年に、日産自動車株式会社は1934年、すこし遅れて戦後に本田技研工業株式会社が1948年に設立した。

自動車産業は、プレス、プラスティック、鋳造・鍛造といったものだけではなく、半導体やソフトウェアなど、さまざまな産業の先端技術を取り込んで進化していった。日本企業が長期間にわたって成長できた原動力として、系列発注、あるいはきわめて親しい企業との蜜月関係があったとされる。いくつかの先行研究によっても、欧米企業とくらべて日本企業は調達・外注比率が高いとされる。つまり、自社だけでなんでも生産するのではなく、外部依存が高い。これは文化的な要因もあるだろうが、高度成長期に、自社の生産キャパを高めるヒマがなかった理由が大きい。

必然的に、サプライチェーンが大企業・中小零細企業を日本全体に網の目のように張り巡り、そこから系列システムが強化された。ものづくりに関わる企業は、直接・間接にかかわらず自動車産業に関わるようになり、多くの雇用を生んでいった。そして、日米貿易摩擦などの紆余曲折はあったものの、自動車産業は日本を代表するようになった。

自動車産業は以前にも書いたとおり熾烈な競争を繰り広げているため、既存のどのメーカーも安泰ではない。同社、あるいは自動車他社の趨勢は、おなじく日本の象徴になるだろう。

ところで、日本では長寿企業が多いといわれるが、私たちは長寿企業から今後のビジネスを考えられるだろうか。

・長寿企業大国ニッポン

日本で100年=1世紀分の超にわたって続く企業はどれだけあるのだろうか。帝国データバンクによると2万強の企業がありそうだ。強という表現を使ったのは、同社のデータベースがすべてを網羅していないためだ。何人かの研究者によると、100年以上つづく企業を52000社と予想している(横澤利昌さん『老舗企業の研究』、後藤俊夫さん『ファミリービジネス 知られざる実力と可能性』)。

とはいえ、傾向としてじゅうぶん把握できるため帝国データバンクの調査を引用すれば、老舗企業が多いのは清酒製造、貸事務所業、酒小売、呉服・服地小売、旅館・ホテル、としている。伝統そのものが売りになり、かつ、商品自体にイノベーションも起きづらい。

なかでも私が大きな要因と思うのは、商品のブランディングスイッチが起きにくい領域のことだ。相対的にいって、スマホならば、新興企業のものだろうが関係がない。あるいはインターネットサービスや小売店であっても同様だ。

あるいは事実上、新規参入が難しい分野もある。ITの業界であれば、パソコン数台で独立できる。しかし、多大な固定費が必要な分野、たとえばビール業界であれば、クラフトビールのような小規模事業者はいるとはいえ、参入が難しい。

同社の2016年5月調査によれば、1916年までに創業した企業数=100年老舗企業数を、データベースの登録企業数でわった都道府県別の結果が登場する(http://www.tdb-muse.jp/lecture/docs/%5B%E6%94%B9%E8%A8%82%5D%E8%80%81%E8%88%97%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%89%B9%E6%80%A7%E3%80%80%E5%8E%9F%E7%A8%BF%20201605.pdf)。これによれば、東京1.42%、大阪1.64%にたいして、京都4.75%、山形県4.87%と、伝統・保守的な県が圧倒的に高くなっている。
ただ冒頭であげた自動車産業もかつてはそうだったものの、ガソリン車から電気自動車への転換などによって部品点数が大幅に減ったり、モーターメーカーや新興企業が入りやすくなったりしたことから、ブランディングスイッチも起きうる業界になっている。

・100年企業の条件

とはいえ、100年以上にわたって続く企業の秘訣を、さまざまな先行研究から抽出しようとした。しかし、ひどく凡庸な結論しか導けそうにない。

●理念をしっかりもち、次世代につなげる
●居客のことを考え、仕入先、従業員も大切にする
●商品を良くし続ける努力を怠らない

経営は勝つゲームではなく負けないようにするゲームだと語ったひとがいた。なるほど、その意味では、堅実さが武器であるに違いない。

日本では、かつてより「三方よし」という、買い手も売り手も利益を得、そして世間のためになる。

日本で近代資本主義の父といわれる渋沢栄一は、合本主義を主張した。私利私欲だけではなく、社会に貢献できる事業を推進し、高い倫理をもつこと。渋沢は、『論語』を愛読し、商道徳を説いた『論語と算盤』を出版している。そこで和魂洋才ならぬ、士魂商才を提言している。武士の精神をもち、商人の才覚をもちあわせること。いまでは、行き過ぎた利益重視主義の反省で、企業家が社会貢献を謳うようになった。CSR(Corporate Social Responsibility~企業の社会的責任)コーポレート・ガバナンス(企業統治)、サステナビリティ、人間中心主義などがいわれるようになった。

しかし、渋沢の一連の著作を読むと、現代潮流のはるか前から、渋沢がおなじことを進言していたとわかる。道徳と経済の合一性、会社と公益性、事業の持続継続性、人間尊重。いま渋沢の発言を読むと、そのほとんどが現代に通じるため驚くほどだ。

現在では、CSR(企業の社会的責任)からCSV(Creating Shared Value~共通価値想像)と流れている。これは、社会的に価値のある事業創造で、これまたいっていることは、日本人がかねてから目標としていた内容と重なる。

<つづく>

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