とても重要だけれど伝わりづらいこと(坂口孝則)
とても重要だけれど伝わりづらいこと、を書こうと思う。
孔子がいる。孔子がいる、というが、孔子の名前は誰もが知っていても実際に「論語」を読破したひとはすくない。私は、息子に孔子にまつわる名前をつけたくらいで、愛読している。
さて、孔子が弟子から質問を受けている。大意で記す。「礼儀をもったひとに礼節を尽くすのは当然でしょうが、無礼なひとにまで礼節を尽くすべきでしょうか」。これにたいする孔子の答えが傑作だ。「それは礼にたいする無礼にあたる。礼には礼をもって応え、無礼にはしかるべき対応をもってせよ」と。
私はこういう人間的な孔子を読みたいし、ここに魅力があるように思う。「論語」が道徳に貫かれているかというと、そんなことはなく、むしろ人間臭いところに訴求力があるのだろう。
そして同時に、こういうことを示しているのだろうと思う。「ちゃんと、礼儀正しく、真摯に仕事をしていたとしても、あなたの前に失礼で無礼でどうしようもない奴が現れるよ」と。
そのときに、二元論を語るひとがいる。「無視せよ」か「徹底的に争え」の二元論だ。私はそのどちらにもくみしない。というのも、答えは、その中間にある気がする。孔子が「無礼にはしかるべき対応をもってせよ」といったとき、その中庸を読み解けるかで人生への態度が異なるのだ。
つまり、争わねばならない。だけど、感情的になりすぎたり、あるいは、消極的すぎてもいけない。意識的になったうえでの格闘が必要なのだ。争わないと、そいつらから利用される。その意味で、やはりビジネスパーソンは自立し強くなければならない(すくなくとも難癖といちゃもんを跳ね返すくらいは)。
しかし同時に、感情的に突っ走ると、たいていは失敗すると先人たちは教えてくれている。つまりはバランス感覚なのだ。
がんばっているからこそ敵が現れる。その敵は思いもしない不意な、かつ非礼な攻撃をしかけてくる。しかしどうおだろう。その阿呆も、自分の人生なるゲームに必要なキャラクターだと考えてみたら。そのキャラクターは自分の成長のためにいる。そいつは、あくまでもキャラクターだから、戦いつつ、また「うおっ強いね」と心のなかでつぶやきつつも、冷静さを忘れない。そして着実に確実に対応していく。
戦いが個人を成長させる側面はたしかにある。だから、ときには戦いすらも歓迎しようではないか。そしてそこに仕事の楽しさがあるように思う。
<了>