(短期連載)一倉定とは何だったのか(坂口孝則)

(今回から数回のみ日本における経営コンサルタントの祖である一倉定さんをとりあげます。コンサルタントにご興味のない方も、一人の面白い男性の自伝としてお読みいただければ幸いです)

・落雷としての情熱講義

東京神田の日本経営合理化協会一階で打ち合わせをしていた。2010年のころだ。当時、私(坂口)の書籍を読んで勉強会を開催してほしい、と同協会のセミナープロデューサーから声をかけてもらったのがきっかけだった。

そのとき何を話し、何が決まったのかはもはや覚えていない。ただ、打ち合わせ終了後に、壁際に並べられていた教材について幾事か聞いたのを覚えている。それはA4サイズ、厚み5センチほどの教材で、同協会のトップコンサルタントだったひとの教材だという。私は興味もさほどわかなかったので、それ以上の質問はできなかった。ただ、和服を着た白髪の男性が厳しい目で見つめている姿だけは印象に残った。

それから1年後、私は神田昌典氏のコンサルタント養成講座のDVDを鑑賞していた。DVD13枚にいたるもので、同氏のセミナーを収録したものだ。タイトルどおり、神田昌典氏が「実力、収入ともにダントツになるための、ビジネスモデルおよびノウハウを徹底解説」するもので、目標は年収1億円のコンサルタントになるとあった。なお、当時のセミナーの参加費は63万円(税込)であり153名が集まったという(なお、そのDVDは税込50万円で販売されていた)。

きわめて刺激的なDVDの内容を語るのは趣旨ではない。ただ、コンサルティング業務の肝要を極端に語る氏の魅力はじゅうぶんに伝わる内容で、実際にたったひとりで年間数億円を稼ぎ続けてきた氏のノウハウが正直に公開されている。

ところで、当DVDの第二講「年収1億円を超えるコンサルタントの心得」には、非常識とも思えるコンサルタント心得が語られる。「クライアントの成果を出すのがコンサルタントの仕事ではない」「高額なコンサルティングフィーを平気な顔で請求できる能力」……etc。それらは面白いとはいえ、私がもっとも気になったのは「クライアントはいじめればいじめるほど満足度があがる」といったくだりだった。なるほど、たしかになんでも言うことを聞く系のコンサルタントよりも、むしろグイグイと引っ張ってくれ、ときに叱咤するコンサルタントが評判になるケースもある。しかし、それにしても「クライアントはいじめればいじめるほど満足度があがる」とはいいすぎではないか。

そのときに例えに出されていたのが、「一倉先生」なる人物だった。テキストとともに見ていなかった私は、その苗字に慣れていなかったため、「いちうら先生?」と理解できなかったほどだった。神田さんは、「一倉先生は、いつもクライアントを殴っていたそうです」と語り、会場では爆笑が聞こえた。経営計画書を見た一倉先生が、そのクライアントに目を瞑るよう指示し、そして殴りつけた。殴られたクライアントは「一倉先生……」と信者になってしまったという。まあ、その真意はわからないものの、強烈なキャラクターと、良くも悪くもかつての<偉人>について鮮明な印象が残った。

ところで、一倉先生とは? ただ、残念ながら私のなかでまだ調査にはいたらなかった。

その後、たまたま、ファーストリテイリングの柳井正会長が著書「柳井正の希望を持とう」でビジネスマンに推薦したい本として「一倉定の経営心得」があった。そして、経営コンサルタントの小宮一慶さんも一倉定先生を尊敬している、というコメントがあった。そして……。いや、おそらくこれまでも一倉定なる人物を紹介しているひとは無数にいたのだと思う。ただ、私はそれに気づかなかった。それだけだ。点をいくつか拾うことで、私の頭のなかで線につながった。どうやら高名なコンサルタントや経営者が、共通して勧めている人物がいる、と。

そこで、インターネットや書籍を調べていて驚いた。氏は、2010年に私が神田で<出会っていた>のだ。あの、和服を着た白髪の男性が一倉定氏だった。そして私はすぐさま鑑賞した氏の講義風景にさらに衝撃を受けることとなる。

「だからあんたはダメなんだ!」
「社長、それはあんたの責任だ!」

溢れ出るパワー。圧倒する口調。断定、そして怒り。氏は壇上でマイクという武器を使いながら、会場にあふれる1000人もの客を相手に、ひとり闘いを挑んでいるかのように見えた。しかも、何らかの憤りや怒りを講義なる一人舞台に昇華させて、さらにその闘いによって憤りや怒りをおのれのなかでさらに増長させる、終わりなき営みを続けているのだ。

一人の白髪でやせた紳士から、怒号が飛び、黒板が次々と一倉理論で塗りつぶされ、その講義の緊張に耐えられない者には容赦なくチョークが飛んで行く。ここには、一般的なお客(受講者)とサービス業者(講師)なる関係性はもはや成立していなかった。そこには、制圧されるものと、制圧するものの関係しかなく――いや、それはもちろん望んで制圧されているわけだが――、間然できぬ空気だけがあるのだ。

・一倉定とは誰だったのか

一倉定(いちくらさだむ)は、1918年4月群馬県前橋市に生まれ、1999年3月に鬼籍のひととなった。前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長や、日本能率協会のプロジェクトマネージャーをなど経て、経営コンサルタントとして独立した。

<5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を立て直したとされる。経営コンサルタントの第一人者とされ、苛烈なまでに経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ。”ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな”が基本方針。空理空論で経営する社長や、利益だけを追求する社長に対しては、烈火の如く怒り叱り飛ばすとされ、「こんなに叱られるのは生まれて初めてだ」「講義と聞いて来たが、これは講義ではない、落雷だ」との所感を述べる経営者[誰?]もいる。後継者に不安を抱く創業者[誰?]からも人気で、いわばダメ社長の再生人として不動の地位を誇る。>(ウィキペディア)と紹介されているし、前述の日本経営合理化協会も、おなじような紹介文を載せている。

<事業経営の成否は、社長次第で決まるという信念から、社長だけを対象に情熱的に指導した異色の経営コンサルタント。空理空論を嫌い、徹底して現場実践主義とお客様第一主義を標榜。社長を小学生のように叱りつけ、時には、手にしたチョークを投げつける反面、社長と悩みを共にし、親身になって対応策を練る。まさに「社長の教祖」的存在であった。経営指導歴35年、あらゆる業種・業態に精通、文字通りわが国における経営コンサルタントの第一人者として、大中小5000余社を指導。>(日本経営合理化協会HPより)

では、その「落雷だ」とか「空理空論を嫌」うとかいった氏の主張はどのようなものだったのだろうか。そもそも一倉定氏は<赤字会社以外は相談に乗らない>と極端なスタンスをとっており、<私は、どんな会社でも資金が4ヵ月以上続きさえすれば、再建させる自信がある>ようで、<私は、今まで、再建に失敗したことはない。ただし、途中であきらめたことはある。(中略)私のいうとおりやった会社は、すべてよみがえっている。あきらめた、というのは、社長としての姿勢がなってない社長、そして、そうした欠点をガンとして直そうとしない社長の場合、こんな時には何をやっても会社はよくならない・・・・(月刊中小企業1977年2月号)>と断言する姿勢だった

<つづく>

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