成長について(坂口孝則)

私が抽象的な文章を書くことはほとんどありません。ただ、今回に限っては、やや抽象的なことを書きます。100人中99人には伝わらないかもしれないけれど、最近よく考える重要なことについて。

先日、小さなこどもを連れて、ささやかな旅行にいきました。といっても、ほんとうに幼く、3歳ちょっとです。しかし、3歳とは、会話ができるようになるタイミングでもあり、だいぶ両親とも話ができます。

おもちゃのこと、保育室でのこと、テレビのこと。話しているうちに思ったのですが、私たち両親と、さほど大差ないことにハッとしました。

私が小学生のころ、ブルーハーツの真島昌利さんのインタビューを読んでいると「もう30歳になってしまう」とおっしゃっており。それはそれは遠い年齢だと思いました。その後、桑田佳祐さんの記事も読んだのですが、30歳をすぎて映画監督に挑戦したい(「稲村ジェーン」)とあり、はるか先の話だと思いました。絶対に、30歳になるリアリティがなかったのです。

かつて会社員の新人時代、セミナーを受講したときも、壇上の講師と自分に絶望的な差を感じました。自分が壇上に立つなど、おなじく遠い話だとしか思えなかったのです。

ただし、いまの私からすると、その距離を感じません。子どもはすぐに大人になるでしょうし、30歳でメディアに出ることも、そして苦労した若手時代のことも、「さっき」のことでしかありません。

これは比喩ではないのです。ほんとうに「さっき」でしかありません。YouTubeの話だとか、あるいは仮面ライダーの話をする子どもを見て、「すぐに俺みたいな年齢になるぞ」と思わざるをえませんでした。

ここに、両者(子どもと親)のあいだに、絶望的なほど時間に関するギャップがあります。私は「親は選べないとよくいうけれど、あれは言い間違いで、産まれてみたら”親”などと自称する二人がいた、というのが正しい」とよくいいます。

親の立場に立ったら、本人が望むか望まないかにかかわらず、すぐさま親と同等の社会的地点に行かざるをえないのだとわかります。たしかに、まだ学問も経験しておらず、働いた経験も、社会的に責められた経験もない。ですが、胸に手をあてて「子どもに自慢できる経験を、どれだけしてきたか?」と自問すれば、さほど自信もありません。子どもは、子どもなりの方法で、その気があればすぐに追いつけるはずです。

この前も、若い文化人を見て、驚愕しました。私より10歳ほど若いといったって、ひたすら勉強していれば、私の学習量などは遥かに超えられるのです。子どもから見ると、いまの私は、だいぶ先にいるかもしれません。ただ、宇宙の歴史からくらべると、その差など、きわめて小さいものでしかありません。

ここまで考えたときに、加齢とともに学ばなくなる理由もわかった気がします。いまから学習をしても、もっともっと上の場所に行こうとすると、限りなく遠く見えてしまうのです。つまり、子どもの視線をもっているのです。

しかし、同様に、ずっとずっと成長を続けられるひともいます。そのひとは親の視線をもっているので当然なのでしょう。すぐに達人のレベルにまで到達すると実感をもっているので、学習し成長したくてたまらないのです。そして、成長も簡単だとしか感じられないのです。

おそらくこれが、大げさにいえば、人生の態度を決めるものだと思います。

実際に、「若者が自分のいまのレベルに追い付くことは不可能だ」と自信をもてるひとはどれだけいるでしょうか。その若者がひたすら学び、現場での研鑽を追い求めたら、すぐに追いつくのではないでしょうか。

ただし、ここで矛盾するようなのですが、まさにいまの自分は、どうあっても変えることはできません。そして、ささやかな差ながらも、これまで多くを経験した事実はあり、学んだこともあります。

抽象的なまとめをします。私たちは、子どもの視線をもって将来を考え、そして親の視線をもって後輩にあたることがよさそうです。さらに私たちは、小さな進歩であっても、「とりあえず」一歩を踏み出しつづけるしかないのだと思います。

繰り返しますが、100人中99人には伝わらないかもしれないものの、誰かお一人に届くことを願って。

<了>

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