どんなにつらくても生きていれば勝ち(坂口孝則)
バイヤーをやっていて、ウツ状態になる人が増えているといいます。
おそらく、会社が与える不条理で高すぎるハードルをこなし続けていると、弱い人は心が折れてしまいます。プライベートでもさまざまなことが起き、会社ではノルマに追われる。これでは、まともな精神状態など保つことはできませんよね。私だって、その「弱い」人間です。ストレスからいかに逃れるか、どうやってウツ状態にならないか、どうやって正気を保つか。それは私の大きな問題でもありました。
手前味噌でお許しください。ある私の知人が急死してしまったときに、私があるところに発表した文章があります。それは、こんな文章でした。
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・5月の死が教えてくれたもの
ああこの日だ、と思って目が覚める。表現できないやるせなさ。急いで支度をして家を出る。見憶えのある風景。目的駅に到着して、例の場所に向かって歩いていると、暑さに長袖を着てきたことを後悔し始める。
それも、今回に始まったことではない。
例の場所の入り口で、汗を拭いながら水を汲み、山の上に登っていく。いやなほど晴れた日。そんな天気なのに、まわりには誰もいない。私は手を合わせて、そっと目を瞑った。
毎年やってくる5月11日になると、かつての共同執筆者の死が私に襲ってくる。
故人が入院中に、一度だけ見舞いに行ったことがある。チューブを体中に這わされ困憊した姿と、それでも私たちを無理に対応してくれた姿が印象的だったため、私は二回目を遠慮することにした。
私がそのとき「また、飲みに行きましょう、必ず」と約束をしたのが、本当のお別れになってしまった。飲み会のとき、食事をほとんど摂らず焼酎ばかり飲んでいたのは、胃ガンのために食事がまともにできなかったからだ、と死のあとに聞かされた。
故人と私は、仕入れ・調達・購買にまつわる研究会に属していて、意気投合の末に、幾人かと本を執筆することになった。「今日の企業に必要なのは、戦略とか先見性とか仕組みでしょう」という私に対して、「いやあ、やっぱり大事なのは人でしょう。愉しく仕事しなきゃ」と笑顔で言っていた故人は、死によって周囲の人々の心に大きな穴を開けてしまった。
皮肉ながら、彼は死後に自身の言葉の正しさを証明してしまったのだ。
そして、周囲の哀しみは、死んでしまったその本人にはとてもわからない。
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おそらく、と私は思います。どんなに苦しくても、生き続けるべきだ、と。上記の故人は、末期ガンでした。彼は弱気になってしまったこともあったようです。「このまま治らないかもしれないね」と。でも、ただ生きているということ。その事実だけが多くの人を救う可能性があることに自覚的でならねばならない、と私は思うのです。
バイヤーでウツ状態になる人が多くなってきた、と述べました。不景気とプレッシャー、そして給料の劇的低下、さまざまな理由がそこにあるのでしょう。もちろん、前向きな言葉で、「ウツ状態」のバイヤーを救ってやることはできます。それに、仕事に夢を持ってもらうことで、ウツ状態から脱出させることもできるかもしれません。
しかし、です。
それでも、あなたのまわりのバイヤーが立ち直らなかったら。あるいは、あなた自身がウツ状態から脱することができなければ。そのときは、やはり、人の生というところに立ち戻るしかないと思うのです。
「どんなにつらくても生きていれば勝ち」ということ。そして、その生そのものが、誰かを救っている可能性があること。誰でもない「あなた」がいてくれる、そのこと自体が、自分にとって価値があるということ。
「ほんとうの調達・購買・資材理論」という名前のメルマガに、このような文章はふさわしくなかったかもしれません。しかし、最近、心を病んでいる人たちが多く、書いておきたいと思いました。「調達・購買・資材理論」も生きていなければ、仕事に取り組まなければ、どんな役にも立ちませんからね。
そして、みなさん繰り返し「どんなにつらくても生きていれば勝ち」です。