ほんとうの調達・購買・資材理論(坂口孝則)

・QCD評価の限界と定量的評価主義の限界

中学生のとき、通知表をもらうのが、唯一の恐怖だった。国語の点が「1」か「2」であることは、あらかじめ予想できたからだ。そもそも国語の能力など点数化できるはずはない。できるとしたら、阿呆のような入試試験にいかに素直に従順し、どの程度「大人の求める回答」ができるか、ということを点数化するにすぎない。

人間を定量的に評価できるという思想もいやだった。いまでは、その必要性や、代替手法がないことも理解している。しかし、人間を評価するときには、どうしても(先生たちの)恣意的な評価が介在する。たかが内申書にビクビクしている親御さんを見ると、同情申し上げるしかない。あんな恣意的で意図にまみれた内申書に。

これまで、QCD評価について述べてきた。

QCD評価はどうしても評価する人たちの恣意性が潜り込む。しかも、それは理論的に生じる。だから、QCD評価で正しい結果を導くことはできない。そしてそれも今回、最後の説明となる(今回から読んでいる人も理解できるように書く)。

QCD評価を、より正確なものとするために、サプライヤーを絶対値で点数づけるバイヤー企業がある。たとえば、100点満点で、A社は90点、B社は80点。だから、A社の勝ち、というわけだ。

こうやって点数をつければ、その結果選ばれたサプライヤーは、たしかに正確な実力を反映しているように見える。しかし、これのどこが間違っていると、私は言うのだろうか。

まず、各部門には独立した評価をしてもらう必要性がある。ある部門の評価が、他部門の評価に左右されてしまったら、間違った結論を出すことになるからだ。これは前回説明した。

また、各サプライヤーごとに比較法によって評価してもいけない。それは必ず誤謬を引き起こす。これは前々回に説明した。もちろん、前回、あるいは前々回も読んでいなくてかまわない。

いずれにしても、QCD評価においては、次の二つの条件を満たす必要があった。
1.相対的な○×△評価ではなく、独立した評価基準を設けること
2.他部門の評価に左右されない独立した評価になっていること
それは、評価に恣意的な側面をできるだけ排除するためのものだ。

ここまでを前提としてQCD評価の実際の現場に戻ろう。A社、B社、C社という三つのサプライヤーがある。評価はQCDで、それぞれ品質部門、調達・購買部門、生産管理部門が行うとしよう。これは、どこでも見られる風景だ。

そこで、点数をつけると、このようになったとしよう。

<図をクリックなさると、大きくすることもできます>

すると、調達・購買部門は、不平不満でいっぱいになる(かどうかは知らないが、今回はそのような仮定としよう)。

なぜならば、二つの原因があるからだ。
・コストが最も安いサプライヤーが選択されていない
・コストが高いサプライヤーにも、他部門から高い評価がついている
このようにして、他部門から独立し、絶対的な評価を行う場合は、えてして特定部門の意図にそぐわない結果になる。

これは当たり前なのだろうか。

当たり前である。それが独立した点数表を持ち寄って評価するということの意味だ。誰かの意思は問わない。純粋に点数が高かったサプライヤーが選ばれるのである。

・自分の影響力を増したい人たち

しかし、だ。

すべての人間は、自己の便益を最大化するように動く(これには異論があろうが、傾向としてであっても、まずは合意いただきたい)。この調達・購買部門は、次にどのような評価を実施することになるだろうか。結果は明らかである。自部門の評価による影響を最大化しようとするのである。自部門の評価が、結果に多大な影響を与えるように目論む。

具体的にはどのようなことだろうか。この調達・購買部門は、サプライヤー評価がこのようなものだったとする。目標コストを達成したところを100点とし、そこから10%離れていればマイナス10点、そこから15%離れていればマイナス15点、そこから25%離れていればマイナス25点というものだったとする。

たとえば、目標コストが1万円で、サプライヤーA社のコストが1万1500円であれば、マイナス15点で結果85点(100点―15点)。サプライヤーB社のコストが1万2500円であれば、マイナス25点で結果75点(100点―25点)。という計算である。

しかし、この調達・購買部門は、その評価の独立性ゆえに、評価基準を変更してしまう。目標コストを達成したところを100点とするのは同じだ。しかし、そこから10%離れていればマイナス20点、そこから15%離れていればマイナス30点、そこから25%離れていればマイナス50点というものに変更するのである。これまでの基準を2倍し、目標コストに達成していない場合のマイナス幅を大きくしたのだ。

すると、どのように変化するだろう。

<図をクリックなさると、大きくすることもできます

まったく同じ見積りで、まったく同じ選好順序だったのに、調達・購買部門が評価基準を変更することで、まんまと調達・購買部門は自部門にふさわしいサプライヤーを誘導するのである。

・QCD批判論を超えて

各部門は、他部門に影響を受けずに評価を実施しない限り、間違った結果を生み出す、といった。だから、独立し、絶対的な基準と尺度で、各部門は評価を実施せねばならないのだった。

しかし、その結果はどうか。

絶対的な点数で評価したところで、各部門は自部門の便益を最大化するために、自部門の評価影響力を意図的に増していくのである。自分たちがつける各サプライヤーの点数に大きな差を創造する。その部門の評価に、全体が大きく依存することになる。

これによって、やはりQCD評価の恣意性がふたたび明らかになった。QCDは恣意的なものにならざるを得ない、という結果になった。私はこのことを悲観しているのだろうか。そうではない。民主主義もQCD評価も、それが絶対であるはずはない、という程度の認識はすでに持っていた。それを理論的に説明しただけのことだ。

われわれは、この恣意性と制度の破綻を、明るく受け取めなければいけない。それは良くも悪くも、仕組みを知ることで、自部門に有利な結果に導くことができるからだ。それは、もしかすると、厳密性を欠いた行為かもしれない。

しかし、私はそれでもいいのではないか、と思う。評価など、そもそも完璧ではありえない。だとすると、それを前提としたうえで、自分に有利な結果を創りあげていったほうが、はるかに実利的だからだ。

また、それこそが、私がQCD評価に捧げた一つの願いでもある。

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい