FAXの前で立ちすくむ理由
私は調達購買部門で仕事をする前、法人営業を担当していました。担当していた製品は、5年間で売上が6倍になった成長製品。非常に厳しい日々でしたが、私のような若輩者でも大きな商談に主体的に携わったのは、正に幸運でした。
当時、地域と顧客を絞り込み集中的に売り込みをかけていました。対象にした地域と顧客層に対して独占的な地位の獲得が目的でした。当初は厳しい戦いを強いられていましたが、だんだんと地域のお客様からお声掛けをいただくようになりました。独占化の戦略が功を奏した証でした。
そんな中で、ある大きなプロジェクトの話が舞い込みます。過去の案件と対比しても、規模が非常に大きく、さすがに若輩者の私1人だけでは手に負えず、当時の上司2名と共同して対応していました。地域と顧客を絞り込んだ戦略の結果競合他社と比較すると、非常に有利な商談を進めていました。ほぼ受注は確実、後は確定した要求内容に対して見積書を提出し、価格交渉するだけ。まずは期日までにFAXで見積書を送付、指定された期日に訪問して価格交渉を行う手筈でした。見積書を作成しFAXで送信しました。
翌朝、オフィスに到着してがく然としました。昨晩送信したはずのFAXの未着レポートがありました。私は慌てて前日に送ったFAXを再送信しました。そのうえで購買担当者に連絡し、不手際をお詫びしました。購買担当者からは特にコメントもなく、この点は一件落着と思っていました。
そして上司共々お客様を訪問し価格交渉。地域における優位性が存在し、価格交渉も有利に進むと思っていました。交渉には、購買部門のトップも出席していました。そこまでは事前に想定していました。しかし購買部門のトップは、指定した期日にFAXが届かなかった事実を執拗に指摘してきました。
「これまでのやり取りの中で信頼関係が構築できたと思っていたのに、このような形で裏切られるとは思っていなかった」
「FAXで送信するなら、ちゃんと相手に届くまでフォローするのが、営業としての顧客に対して責任じゃないか」
「いったいどんな営業マン教育をしているのか。まあバブル入社だからしょうがないか」
私の想定以上に、かなり激しく期日までに見積書が届かなかった点を繰り返し指摘。そこにはマーケットで数年間を費やして構築しつつあった優位性などまったく関係ありませんでした。有利に進むと思っていた価格交渉も、見積書が期日に届かなかった一点により、関係が損なわれた、今後も同じようなことが発生しては困ると主張され、想定よりも価格を下げて決着せざるを得ませんでした。
その場にいた2人の上司は、FAXの送信完了の未確認を責めませんでした。それが逆に申し訳なく、未熟さ、至らなさを痛感させました。この出来事以来、FAXを送信する際、私はメモリー送信を行わなくなりました。今でも機会は激減していますが、直接送信で相手の受信完了までを確認しています。FAX送信は少し緊張します。
幸いにしてメールの普及しFAXの使用機会は激減しました。しかし20年以上経過した今でも、FAXを送信するときに思い出すエピソードです。そして交渉において相手の気勢をそぐには、こういった些細な不手際も活用すべきと考えるようにもなりました。なかなか使う機会はありませんけどね。