調達業務のリスクマネジメント~東日本大震災の教訓 1章(1)-5
加賀信はこのときPHSの有効さを知ることになる。他の手段が通信不能に陥っているとき、PHS回線だけはつながった。それにより加賀信は家族と連絡をとることができた。そのとき、多くの人びとが使ったのはインターネットを利用したコミュニケーションツールだった。そのとき神奈川のオフィスで勤務していた牧野直哉は携帯電話をすぐにあきらめ、Twitterによる手段を試みた。運良くタイムラインは見ることができる。しかも、ダイレクトメールも送れたようだ。同時にパソコンからのメールも試みてみた。これも大丈夫だ。アカウントをもっている人たちからは次々に安否確認が届いた。大丈夫だ、と牧野は思った。
Twitterではそのころ、堀江貴文さん、勝間和代さんらといった有名人が、先頭にたって安否確認を繰り返していた。「福島県にいるはずの○○さんに連絡が取れません」という類のつぶやきを、有名人がRT(リツイート)することによって拡散していく。そして、それを見た人が情報を提供する。まさに、新メディアが実益として人と人とのライフラインになった瞬間だった。このとき牧野は、ほんとうの意味で旧来メディアが新メディアに敗北した日だ、と感じた。
17時00分。このころになると、一部の電話はつながりはじめた。滋賀県から神奈川のサプライヤー工場に出張していた西城優輝は、このころ滋賀県本社と連絡が取れた。電話先からは震災影響を確認するために、週末の製品生産を中止すると聞かされた。出張先で情報がつかめないまま、調達・購買部門のマネージャーである西城は、不安な時間を過ごしていた。西城の会社は福島工場を持っていた。その福島工場と連絡が取れない状況が深夜まで続いた。その後も、西城は眠られないまま一夜を過ごすことになった。