調達原論3【38回目一そして製品は客先へと旅立つ】

38「そして製品は客先へと旅立つ」

製品が旅立った後も、バイヤー業務は続く 

 

オフィス全体の暖房が切れた音がする。その静寂に急がせられるように書類を整理し、パソコンの電源を落としながらふと目をやると、買ったばかりの携帯電話のモノクロ液晶は、いつの間にか翌日に日付を変えていた。

昔は何をやっていましたか――?

そう訊かれると、私はいつも通り答えます。「モノを買い続けていました」。

製造業のなかで事務系がありつける生業など営業と経理しか思いつかなかった一人の若者が、調達部門などというところに配属されてから、さまざまな経験をしてきました。

見積りの依頼がまずく年配者から怒鳴られたこと。設計者との会話で頻出する専門用語がわからないくせに、知ったふりをして、机に戻ると必死に勉強したこと。東北の寒い地まで製品を取りに行き、納期を守るために、泣きながらハンドキャリーしたこと。そして、ある日の帰宅時もまた、誰もいなくなったオフィスの施錠を繰り返していたこと。

調達という世界の広がりの前に、自分の無知さを思い知り、帰宅後は海外から取り寄せた文献を読み続ける日々。私が昔を思い出すとき浮かぶ風景は、たとえばそんなものです。

ある仕事が、そのまま当事者の人生を語ってしまう、という場合があります。バイヤーならば誰しも、苦労した調達談を一つは持っているはずです。そこには、調達したという表層的な行為だけでは語り尽くせぬ生きざまが刻印されているのでしょう。

時代の名曲が流れるたびに、人は懐古の情にとらわれるのは、その名曲を通じて語り合った日々の輝きを自分の人生に重ねているからです。その意味では、私の代表作はこれまで調達した一品一品であり、「代表作です」ということのできる調達を努めてきました。

もちろん、そのときはこのような形で多くの読者に知識を披歴できることになるとは思ってもいなかったことです。私は、「何か大きな目標を持つ」ということの大切さを知っています。ただそれでも、単純に「目の前のことに真摯にあたる」ということの重要さをより強調したいと思うのです。

商品企画から、集中購買にいたる領域を縦横無尽に走り尽くした果てに、一つの製品は客先へと旅立ちます。やっと作り上げた製品も、バイヤーはサプライヤーと客先をつなぐメディア(媒介物)としての役割を終えるのです。しかし、一つの終わりは、一つの始まりを意味します。

もし、その製品に結晶した努力が市場に認められれば、バイヤーは生産数増により、再び納期調整という苦難を味わう幸運に恵まれるでしょう。そして、バイヤーは自分の成功がより自分を成功させてくれる舞台に舞い降りることができます。

その製品が市場から受け入れられなかった場合は、哀しくはあるものの、その失敗の要因を分析することで、次につなげることができるはずです。より良い製品性とコストを実現するためにはどうすれば良いか――。そんな反省と考慮をバイヤーは重ねることになるのです。

私にとって、「モノを買う」とはそのまま「人生を生きる」ということでした。少なからぬバイヤーが日々の業務を流れのままに身を委ねている光景を見るたびに、私は「もったいない」と思わずにはいられません。一日のうち10時間近くを過ごす会社のなかにあって、生きるということの密度を下げてしまうことほど、命を「削る」ことはないのです。

画家は、絵を完成させるときに、いつ最後の一筆(ひとふで)とするか迷うのだといいます。バイヤーの業務は製品の出荷が最後の一筆ではありません。

それはまるで、終わりのない描画を続ける、一つの旅路なのです。

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