4章-19 モチベーションゼロの仕事術

ここまで、モチベーションゼロの仕事術の具体的な方法論を書いてきた。少しでもお役に立つことができればありがたい。

私は、かつて「自分をだます」ことの不思議さを考えていた。ほんとうは自分が好きではないことも、好きだと思い込んで仕事に打ち込んだとする。他人は、それを指して、自分に不正直だ、というかもしれない。ただ、やっていうちに自分がほんとうに好きになってしまったら、それは真の意味で不幸なことだろうか。

おそらく、「自分をだます」ことが成り立つためには、「自分」なるものが不変・普遍で確立している必要がある。ただ、私が繰り返し書いてきたとおり、「自分」なるものが、固定しているとは私はとても信じきれずにいる。

鴨長明が『方丈記』のなかで、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と語ったのは、この「自分」なるものの不確実さではなかっただろうか。「自分」の不確定性は、個人の固有性・独自性を前提としているキリスト教文化とは相反するものだ。

鴨長明が影響下にあった仏教の伝えたかったことは、自我を否定し、ただただ目の前のことに注力し、しょせんは無にすぎない現世で真摯に生きることではないだろうか。少なくとも私の解釈では、さまざまな仏教書を読むにつけ、そのような結論しか導きだすことはできない。

過去でも将来ではなく、夢や目標だけでもなく、やる気やモチベーションにかかわりなく、ただただ今を生きること。あえて単純にポジティブシンキングが欧米文化を反映したものすれば、哀しみや苦悩を認めつつひたむきに生きることは日本的・仏教的なものなのだろう。

そうだ。私はなんと遠回りをしつつ説明してきたことだろうか。

モチベーションゼロの仕事術は、私たちがかつてから慣れ親しんできた思考様式からすれば、自明のことだったのである。

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