1章-7 モチベーションゼロの仕事術

ただ、ここで面白いのは、この労働者は、まさに一人ひとりの消費者にほかならないことだ。

この「逆転経済」下では、文字通りお金の流れが逆転するといった。「メーカーはお金を払って商品を納め、小売店も実質上はお客にお金を払って商品を販売する。消費者はお金をもらって商品を買う」現象は、無理やり消費活動をさせられている消費者=消費という労働を担っている私たち、につながる。お金をもらった消費活動は、オーバーアチーブによって「つじつま」が合うことになる。これは新しい経済構造の誕生である。

私は、小売店とメーカーの関係と同じく、この流れを否定・批判するものではない。商品が安価になり、生活水準を向上させる側面を肯定的にとらえたい。ただし、もちろん、もう一つの側面として、まともな人件費は払えない企業が増えてくる。お客にお金を渡さねばならない逆転経済では、原資を労働者に求めるほかないからだ。

すると、企業は本来の価値以下の報酬で満足するひとを求める。また、価値以下の報酬で満足するように仕向ける。「やりがい」や「夢」や「給料ではなく、やりたいことを実現する会社」などのフレーズが使われることは、その象徴だ。「給料ではなく、やりたいことをやれるか、それが問題だ」「ひとは給料だけで働くわけではない」とは、逆説的に給料を払うことができなくなった時代の名フレーズである。「やりがい」や「夢」や「給料以外のこと」がことさら強調される時代とは、要するに、企業がそれらを使うしか術はないと考える時代だ。給料以外のことで満足度を高める、いわば代替報酬の時代である。

何かが強調されるとき、それが強調される意味がある。たとえば、「伝統」はどうだろうか。誰かが「伝統が大切だ」というとき、事実上、みなが「伝統など必要ない」と考えていることの裏返しである。ほんとうに「伝統」なるものが大切で必要であるとすれば、それは誰もが理解しているはずで、改めて強調する必要はないはずだ。

もし「やりがい」や「夢」というものが強調される場合は、そんなものが力を持ち得ず、それゆえに強調される必要があると見ることができる。逆転経済下のなか、「満足な報酬」を失った代替として、求めざるをえなかったのが「やりがい」や「夢」であり、さらにそれを支える起爆剤が必要とされた。

「やりがい」や「夢」を支えるための発明品。

逆転経済が連れてきたのは、まさに発明品としての「やる気」と「モチベーション」だった。

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