0章-1 モチベーションゼロの仕事術
何をやったってモチベーションなんてあがらない。
多くのひとは、モチベーションをあげようとしても、すぐに元に戻った経験があるだろう。
この本が伝えるのは、そんなあなたを肯定する「モチベーションゼロの仕事術」だ。
世の中は「他人のモチベーションを自由自在にあげる」という魔術師があふれている。もしほんとうにそんな方法があれば、多くのひとの悩みは解決するだろう。しかし、仕事にやる気が出ないと誰かはネットで時間をつぶし、誰かはただただ時間が流れるのを待ちわび、誰かは仕事以外へ逃避する。
やる気とモチベーションがなければいけないという教義はいつしか私たちを縛りつけ、私たち強迫観念すら抱くようになった。なかには今の仕事にモチベーションが沸かないと会社を辞める決意をするひとがいる。やる気やモチベーションと、その仕事との相性は一緒ではないはずなのに、やる気やモチベーションが保持できるかを唯一の基準として考えるひともいる。
仕事をするためにはモチベーションが必要だと思い込むことによって、仕事そのものよりもモチベーションをあげることに注力するひともいる。また、仕事をしない自分への言い訳として、やる気の欠如を利用するひともいる。
でも、そもそもモチベーションを持つことは、ほんとうにそんなに必要なのだろうか。
モチベーションがあがらない自分を肯定し、それでも仕事をこなす方法を考えるほうが何倍も重要ではないだろうか。
日本経済は右肩上がりから左肩上がりにシフトしている、といわれる。それであれば、常に上昇志向のなかモチベーションを持ち続けることはできず、得もいえぬ不安を抱きつつモチベーションをなくしてしまっても当然だ。むしろ、その自分を認めてあげることが必要だ。もしモチベーションの欠如が時代のせいであれば、あなたのせいではないのだから。
10年くらい前、タイのカオサンロードにしばらく住み着いたことがある。一泊500円くらいの安宿のロビーで小説を読んでいると、多くの日本人に声をかけられた。赤いタンクトップにすり切れた帽子をかぶった中年太りのおじさんは、北海道出身の元教師で、仕事を続ける意欲がなくなったあとにカオサンロードにたどり着いたという。月に5万円でアジア暮らしを続けては、ビザ切れのタイミングで日本に戻り現場労働で作ったいくばくかのお金を握りしめて同じ場所に戻ってくる。
そのあと、私は多くの似たひとたちに出会った。彼らはまったく同じように仕事への不満や問題を語り、あるとき突然イヤになったことをきっかけに、ほんとうの自分とやりたいことを探しに旅に出たという。年齢も元職業もばらばらだったけれど、私は仕事への「やる気」ごときが、こうもひとを変えていくことに驚いていた。
いや、私が彼らの話を批判的に聞いていたかというと、まったくの逆だった。多くの賛成と、それゆえの恐怖を感じていた。私は彼らに何をできたわけでもない。おそらく、彼らは同じようにどこかをさまよっているか、日本に戻ってきても前職より条件の悪い仕事に就いただけだろう。
やる気やモチベーション、将来への希望、ほんとうの自分、などというものを失ってしまったら、私たちは彼らのように生きていくしかないのだろうか。あがらないモチベーションをあげなければいけないと悩むのか、あるいは、現状を否定して生きるのか。でも考えてみれば、必要なのは、その二つのどちらでもない、第三の道を探すことだろう。
モチベーションがあがらない自分を肯定し、それでも仕事をこなす方法。
私が知りたかったのは、まさに自分が必要としていた、そんな当たり前のことにすぎない。