1-1.購買調達戦略 ~戦略なき者は去れ 「新しい購買のシンプル戦略立案」~

「この会社を去ることができて嬉しいです」

 

ちょっと前の、送別会のときのことだった。直属の上司は、最後の挨拶でいきなりこう語ったのだった。それも子会社に出向する1週間前のときだった。普通ならばこれまでの思い出や、自分が今まで成し遂げてきた実績コスト削減。そして、会社のこと、組織のこと。そういうことを語ってもいいはずだった。

 

後輩たちに対するエールでもいいところだった。しかし、これは名残惜しいところ。この上司の最後のジョークだった。「きみたちも分かっていたと思うが、うちの会社の購買組織は上の上から命令が降りてくる。その命令は常に絶対性を持っている。それを常に遂行していくのが、私の役目だった」自身の意思のカケラも無く、上の言うことをひたすら受け入れていくだけの日々。

 

おそらくそれは多くの場合、コスト削減を意味するものであった。ある予算が降りてくる。あるいは、いついつまでにいくらコスト削減せよという命令が降りてくる。それに対して長期的なことなど考える余裕もなく、目の前の、一つ一つの業務に邁進してきたのだ。莫大なお金をかけて中国のサプライヤ調査もやったし、設計の部署から「有能すぎて使えない」社員たちを開発購買課という名前の部署におしこめて仕事させたこともある。

 

そして見た目はものすごい額のコスト削減を達成してきたのだった。間違いなく有能な社員だった。「自分は常に上からの命令を受け、それを間違いなく遂行してきた」これをきいたあなたは言うかもしれない。「なんて自主性のない人だ」しかし、自主性のない人がいるとすれば、それは自主性のない人を生む体制があるからだ。弱者がいるとすれば、それは弱者を生む体制があるからだ。

 

イエスマンがいるとすれば、そのイエスマンを生む体制があるからだ。とりあえず、コスト削減をしていれば評価されるという組織のもとでは、長期的な戦略などお構いもなしに、いわんや崇高な理想などなしに、目の前の目標を達成することのみが求められる。そこに個人の意思の入り込むスキなどあるだろうか。もちろん個々人のモチベーションを語るのはよい。それを改善しようとするのはよい。だが、この「上の命令は絶対」という身もふたも無いコトバは、ある意味、少なからぬ購買組織で見られる真実を物語っていないか。

 

そして同時に、長期的な購買戦略をないがしろにするという傾向を示唆してはいないか。今まで話したことのあるバイヤーの何人かも同じことを言う。「戦略戦略で、よく言うけれど、私たちの前にあるのは3年間で20%のコスト削減を達成せよということしかないよ。だからその20%のコスト削減を達成するために、必死で交渉するしかない。

 

あるいは、どんな所でも安く作れるところと取引を始めなければいけない。そんな、戦略なんて小難しいことを考える暇なんてあるはずないじゃないか。5年以上も先のこととか、仕組みづくりなんて知ったことじゃないよ」そして最後に出てくるコトバはこうだ。「だから、オークションでもやって安いサプライヤを探すことをどんどんやればいいんじゃない」私はこれを否定する気は無い。

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