連載「ファクト主義」(坂口孝則)

*世の中の思い込みが本当か検証する連載です。

「日本の貨物量は減っている」
目の前の状況は、世界の一部でしかない

・現場の強烈な悲鳴がゆえに

ヤマトから端を発した宅配便危機は記憶に新しい。もともとは2016年に発覚したヤマトの残業代未払いだった。そこからドライバーの長時間労働が明るみになり、さらに、現場からの悲鳴が聞こえるようになった。要するに、対応できる業務量を超えているという。そして宅急便の値上げがなされた。しかしそれでも物量は減らずに、メディアはヤマト以外にも現場で疲労しているドライバーたちを報道しつづけた。

朝早くからの荷役。重労働。次々にかかってくる電話。地点から地点へ急ぎ、家庭に配達しようとしても不在。結果として何度も通うことになる。休み時間はなく、営業所に戻るのはいつも夜遅く。一連の流れを、ヤマトショックと称するメディアもあった。

再配達率の多さも問題となり、各家庭での宅配ボックスの設置などが議論された。とくに宅配ボックスのない集合住宅では、朝に宅配業者どうしで宅配ボックスの取り合いになる場合も多いという。
ラストワンマイル、という言葉がある。これは、消費者に届ける最後の受け渡し場所を指す。さきにあげた再配達の問題も、このラストワンマイルにまつわる課題だ。

もちろん、いくつもの解決策が考案されている。たとえば、ドローンが荷物を運んでくれるという。しかし過疎地ならまだしも、住宅密接地区ではプライバシーの問題もあるし、それに危険性もある。さらに、最後の受け取りはどうするのか。これはもっとも自動運転もおなじで、最後の受け渡しが難しい。ロッカーのようにトラックの側面を空けて受け取ってもらう方式も検討されているものの、ドライバーの代替になるのはまだ先だ。
*なお、宅配便は一般名称にたいして、宅急便はヤマト運輸のサービスを指す。

ところで、私は前節で、「日本国内の貨物量は減っている」と指摘した。しかし、それは製造業などが減少の理由だった。ネット販売が増える以上、このラストワンマイルが大変になるのは間違いない。

さらにこのところ、ドライバーの高齢化がさかんに報じられる。有効求人倍率も高く、さらに、産業平均よりも、就業者の年齢が高い。

http://www.mlit.go.jp/common/001225739.pdf

10代~20代の比率が少なく、40代以上はきわめて多い。報道で映ったラストワンマイルの様子と、このような高齢化から、「物流業者は儲かっている」と指摘すると、かなり意外だといわれる。

実際には、過去30年の経常利益率推移を見てみる。むしろ、全産業平均よりも陸運業は勝っているとわかる。それは運輸業もおなじだ。しかも面白いことに、全産業と軌を一にするように、むしろ危機が叫ばれた時期から利益率は上昇している。

(法人企業統計から著者作成)

念のために、条件をかえて、次に資本金1億円未満の企業を抽出してみたい。なるほど、たしかに、経常利益率はさきほどのグラフにくらべると低い。ただ、全産業で見ても、資本金1億円未満の企業利益率は低い。

ちょっと余談ではあるものの、テレビを見ていたとき、ワイドショーが某中小物流会社の方をインタビューして現場での悲鳴を伝えていた。私はその会社名をメモし、その会社の3年業績を調査してみた。結果は、3気連続の増収増益であった。

これは、現場はラクに違いない、といっているわけではない。もちろん現場のドライバーは大変にちがいない。しかし、現場が大変で苦労しているのと、利益は別問題という意味にすぎない。

・私の経験から

個人的な話だが、大阪で大学生生活を送っていたとき、居酒屋でバイトをしていた。一流企業のサラリーマンから、山師や、ヤクザまでさまざまなお客と接した。そのなかでも、寡黙でフリーの技術士と仲良くなった。バイトが終わったあとにいつも飲みに連れて行ってもらった。といっても、親子ほどの年齢差だったから私がたいてい聞き手にまわった。

若いだけで無礼な私は、すべておごってもらった。巨大企業の委託業務で食っていた氏に、すごいですね、といったとき見せてくれた氏の微妙な笑顔を覚えている。はにかんでいるのでもなく、否定しているのではなく、謙遜しているのでもなく、形容しようもない、あの笑顔。

私は、大学卒業から数年後に、氏と出会う。それこそ奇跡的なことだが、私はそこで、氏が離婚してしまったことと、事業が上手くいかず廃業してしまったことを知る。訊いてみれば、私と出会ったころには事業のほころびが出ていたという。そのときに、氏がふたたび笑みを浮かべた光景は忘れられない。あの微妙な笑顔だった。

たしかに、世間知らずの大学生が、すごいですねと目を輝かせて質問してきたらどうすればいいだろう。社会人の細かな事情を理解するはずもない。坊主か詩人ほど達観していなければ、せめて微妙な笑顔しか見せることができないはずだ。

私は社会人の2年目だったが、氏との再会に奇妙な想いを抱いたことを覚えている。私が見ていたのは、幻想ではなかった。しかし、私が見ていたのは、氏の一側面にすぎなかった。もしかすると、私たちが他人を認識しているのは、ほんのささやかな一部にすぎないかもしれない。

まるで、私も誰かに、私の一部しか見せられないように。

・フェイスブックと個人の黄昏

私は小規模なコンサルティング会社に属している。そして、個人やおなじく小規模なコンサルティング会社の知人が多い。そして、フェイスブックでつながっている。

毎日、私のフェイスブックには、その知人たちが活躍する様子が流れてくる。講演の様子、コンサルティングの様子、出張時の空港、有名人の誰かとのツーショット……。その写真と、ポジティブなコメントからは、呻吟のかけらもない。

それなのに、定期的に「廃業しました」と連絡が届く。あれほど華やかな様子だったのに、と訊くと、事業が不調だったと聞かされる。もちろん、彼らが投稿していた内容が嘘だったわけではない。その出来事はほんとうだった。しかし、あくまでそれは栄光の残滓にすぎず、残り99%の現実はまったくちがった様相を呈していた。
それは悲劇ではなく、もはや喜劇かもしれない。

・物事の見方

ここから教訓を導くことはできるだろうか。

それはきっと、「自分が見ている現実」=「社会の現実」と思わないことだ。いや、もちろん、「自分が見ている現実」=「社会の現実」である場合は多い。しかし、いったん保留して、「自分が見ている現実」≠「社会の現実」ではないかと思ってみる。

たしかに自分が住んでいるマンションには荷物が毎日のように届いているかもしれない。しかし、それは消費の一部であり、それだけをもって物流が興隆していると判断はできない。

また、話を変えるようだが、私はテレビ番組の企画を打ち合わせする機会が多い。そのときに、テレビスタッフが「それは絵になりません」とよくいう。最初は意味がわからなかったが、じょじょに理解してきた。画像として面白くなければ取り上げられない。内容の同じニュースでも、絵的に視聴者をつかめるかが問題だ。この良し悪しは判断しない。

ただ、たとえば物流の世界で劇的な効率化を図るソフトが登場しても、それが地味ならばテレビニュースにはならない。失礼だが、現場のドライバーが汗をかいて商品を運ぶときに転んだり、お客から怒られたりしている姿のほうが報じられる。

だから、メディア、とくにテレビなどで報じられている内容は、ある種の側面が強調されているのであって、それを曲解しないようにしたい。さきほどの例では、「現場のドライバーが大変そう」=「儲かっていないに違いない」といった誤解だ。

・積載効率について

なお、考えるに当然ではあるものの、個人的であっても業務上であっても、あなたが何かを送るときに、そのドライバーが戻ってくることまでは心配しない。送り先は大都市が多いから、東京、大阪、愛知あたりとなる。しかし、そこから地方にもっていくものはない。となると、空気を運ぶことになる。

トラックを見ると、そこに何も積まれていないとは想像もしない。しかし、実際には多くのトラックは何も運んでいない。ここにもギャップがある。具体的な数字を見てみると、トラックの能力にたいして、約4割ていどの貨物しか運んでいない。

http://www.mlit.go.jp/common/001173035.pdf

あれだけ大量なアマゾンのダンボールを運んでいるドライバーを見ているから、日本全体では「もっとも運ばれているのは空気だ」と知られていない。しかし、思い込みと現実のギャップを知ることで、新たなビジネスへの展開があるだろう。実際に、帰りの便を有効活用できるように、貨物を募集するサービスが登場している。

もちろん積載率は一例にすぎない。物流に携わるひとなら、私が指摘する前から知っていただろう。しかしここで私が強調したかったのは、見た目と実態の乖離が、新たなビジネスチャンスの発想を生む点にある。しかも、これらのデータはすべて公開情報だ。

「目の前の状況は、世界の一部でしかない」のである。

(了)

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