大きな物語の終焉と若者の変容
【ちょっと重要なんで、良かったら読んでみてください】
ぼくは20代のころから、今みたいな仕事をしているから、若いくせに色んな企業の経営陣だとか、それこそ調達部門の部長や本部長と話す機会が多かった。
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そんなとき、「会社ってのはねえ」とか「組織というものはさ」といった解説を受けた。さらには、「会社はこういうのを目指したほうがいいな」とか「調達はこうあるべきだ」といった話を聞かされた。
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ぼくは、ふうん、大きな話だなと感じた。そして、それは「上の人たちなんだから、そういうことも考える必要があるんだろう」くらいにしか思っていなかった。当時の若い奴らと話しても、目の前の、納期フォローの話だとかの悩みしか聞こえてこなかった。やはり職位によって話の大きさが違うんだな、と思った。しかし、どうもそれは違うんじゃないかと思いはじめている。
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なぜならば、当時の若い奴らは、いまでは40代になっている。しかし、現在の40代から、大きな話は聞こえてこない。これはぼくの肌感覚ね。代わりに「新型コロナウィルスで世界はどうなるんだろう」といった話は聞こえてきている。
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つまり、昔は「目の前」「企業」「世界(社会といってもいい)」という三層構造になっていたところ、「目の前」「世界(社会といってもいい)」という二層構造に興味の関心が変化してしまっている。中間の層がなくなった。目の前の業務と世界の終わりにしか興味がない。だから、世界のなかで企業や組織の大きな方向性を策定できる人たちがいなくなった。
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そりゃそうだろう。会社がいつまであるかわからないとか、とにかく個人で生き残れとか、そんなことばかり言われているのだ。会社や組織の方向性に興味が薄れるのは当然だ。
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ただし、ぼくはもっと違うことを考えている。それは、昔の人がもっていた大きな物語が消滅し、全員が総タコツボ化しているんじゃないかと(あえて抽象的)。もっと難しくいえば、ポストモダンのオタク化といえるだろう。
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しかし、これは会社や組織の観点からいえば難儀な話だ。大きな青地図を描けるひとたちが少なくなる、ということだから。コロナ禍では、会社や組織の、今後の見取り図を書くことが重要になっている。ただそれが皆できずにいる。そこにある種の補助線を引くことが、これから重要になってくるんだろう。
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以上が現状認識。もちろん「そんなことないよ。例外はあるよ」と反論があるかもしれない。ぼくがいっているのは、大きな傾向だ。