傷心、桜、新型コロナウィルス

11年前の3月。なにかすべてに疲れ果て、そして、なにかに思い悩んでいたとき、自動車を運転しながらあれこれと答えのない自問を繰り返していた。そのとき渋滞にはまってしまい、どうしようもないなか、ふと窓から見上げると、満開の桜が私を迎えてくれた。

ああ、こんなことにも気づかなかった。するとカーラジオから、馬鹿みたいに明るいポップソングが流れてきた。

私がどうであれ、世界は回っている。私の悩みなど、片隅のささやかな出来事にすぎない。私はこう書いたあとに「桜が私の悩みを消してくれた」と書きたい衝動に駆られる。しかし、現実にはそう簡単ではなく、トラブルや迷いはその後も続き、じょじょに、じょじょにしか解決することはなかった。

ただ、それでもなお、あの日の桜の満開を覚えている。

話は2020年に戻る。3月26日のことだ。職場まで珍しく、自転車で向かった。その理由は単に気晴らしと鬱屈とした気持ちを払拭したかったにすぎない。そうすると、青山墓地の桜が満開であることに気づいた。

都内では移動の自粛要請が出ており、ひとびとはまばらだった。それでも何組かは写真を撮ったり、散策を楽しんだりしていた。

私は不意に11年前の桜を思い出していた。現代の不幸は、それぞれの不幸の多様性を認めずに、ただひたすら流れ行く日常に埋没してしまうことだと、私は思う。とにかく早く動くしかない現代において、誰も他人の不幸をかまっていられず、そして、ただただ無視しつづけるしかない。

社会全体が不幸になっても、個々の不幸には触れられず、マクロな経済政策や不景気だけが語られていく。しかし、近くで、実際の木々はいのちを、これでどうか、というほどに咲かせ、そして実際の誰かが生活している。

桜は満開だった。

4年前の3月のことだ。私の息子が幼く、夕方に公園に行った。そのとき、私は同じく、さまざまな問題をかかえていて、息子の遊びどころではなかった。しかし、無邪気に遊ぶ息子。いつの間にか、夕暮れが夜を招いていた。

そのとき息子の頭に、花びらが落っこちてきた。そのとき、私は、ふたたび遅ればせながら、桜が満開だったことに気づいた。満開の桜は私を気づかせることなく、仕事のトラブルが支配していた。でも、たしかに美しい桜がそこにあった。

11年前の絶望から、いつの間にか息子ができて、なぜかその息子に桜の花びらが落ちてきたときに、私はなぜだか「生きている、という幸せはこんな形かもしれない」と思った。

自由なるものを求めて起業するひとがいる。しかし、この新型コロナウィルス騒動でわかったのは、たった1ヶ月か2ヶ月の売上がなかっただけで、その自由は瓦解し、そして息の根を止めてしまう。人びとが希求した自由とは、そんなもろく、はかないものにすぎなかった。まるで、桜が満開から散るまでの期間がたまゆらのように。

しかし、なぜだか桜の美しさのように、その可憐さを求めてひとびとは活動せずにいられない。

今年はなかなか桜の美しさを味わうことができないかもしれない。そして、次の桜を見ずに、この世界から去りゆく人もいるのだろう。ただ、私はあと数日、あえて、桜を見ながら、果てしない時代の流れのなかで、その濁流のなかで漂うしかない自分を味わおうと思う。

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