「持続可能な調達」を最低限正しく理解する 12(牧野直哉)
●「持続可能な調達」の実践で広げる「当事者」
今回は「持続可能な調達」とは何かを理解する上で非常に重要となる考え方を述べます。上図は、皆さんがご勤務されている企業(バイヤ企業)を中心にして、顧客とサプライヤーそして利害関係者を示しています。
「持続可能な調達」は、本来的にバイヤ企業として経営者や従業員が意識して実践すべきものです。しかしこれまでの歴史をひもといていくと、なかなか企業自らが問題意識を構築し、その解決に取り組むが行われませんでした。例えば、日本国内で昭和40年代に大きな社会問題となった公害問題。みなさんも社会の教科書で「4大公害」として学んだはずです。こういった企業の事業活動の結果で、工場が立地する地域の住民に被害が顕在化し、その後さまざまな規制強化によって、日本国内では非常に厳しい環境規制のもとで生産活動が行われています。したがって、日本国内では企業活動が著しく地域住民や広い意味での消費者に対して健康被害を及ぼすような事例は減少しています。
しかし、企業の経済活動のグローバル化によって、こういった問題が国境を越えてさまざまな国や地域で顕在化するようになりました。多くの新興国では、適切な社会資本や環境政策を欠いたまま、工業化や都市への人口集中が続き、その結果で大気汚染や水質汚濁、廃棄物の不適切処理による環境悪化などが生じ、その影響で市民の健康生活に影響を及ぼしています。
日本の4大公害を例にすると、被害者の救済を求めて裁判が開始されてから和解による終結まで、実に25年もの時間が必要でした。 25年もの長い時間には、企業の成長や経済発展を優先させる考え方から、市民の健康的な生活こそ優先事項といった、多くの人々の認識を変化させる必要がありました。私たちは日本で生活をしており、企業の業績拡大のために市民の生活が犠牲になるといった考え方に否定的です。しかし、現在経済成長を続ける新興国では、かつて日本で大きな社会問題となり、長い時間と大変な労力を費やして解決した問題が起こっている事例があります。
多くの企業の事業活動は、今や日本国内のみにとどまりません。例えば、私たちの生活に欠かせない衣食住で考えてみます。日常生活に欠かせない洋服は、今や中国やベトナム、バングラデシュといった国々で生産されています。生鮮食料品も中国に代表される海外からの輸入に依存しており、日本国内では食料自給率の低さがたびたび問題になります。快適な生活をするために欠かせない住居にしても、新たな住宅の建設や、建築材料の生産に今や雇用形態はどうあれ、外国人労働者の存在は欠かせなくなっています。
私たちが日本国内で一定生活を送るにしても、上図の「サプライチェーン」を考えると、生活必需品の確保に必要なリソースを海外に依存しているのです。上図ではサプライヤーを単純に表記していますが、そのリソースの存在を追跡すると、日本国内におけるリソースは減少傾向にあり、海外における生産設備や労働者への依存が高まったのです。これは日本に限った話ではなく、多くの先進国で同様に見られる現象です。
その結果で、先進工業国における不都合の解消が、新興国に押し付けられる例が顕在化しました。もっとも有名な事例は、1996年アメリカの雑誌「LIFE」に掲載されたナイキのサッカーボールを作る少年の写真です。アメリカ国内の人件費の高騰によって、サッカーボールの生産を海外に移転させた結果、海外では少年が生産作業にかり出されている事実が明るみに出ました。
こういった事例が過去にアメリカ国内で発生した場合、マスコミや市民はどのように反応したでしょうか。現在では「児童労働」であり「強制労働」の可能性も含め、非常に厳しく糾弾されたはずです。実際にLIFE誌の報道を受け、 1997年にアメリカ国内ではナイキ製品の不買運動が高まりました。ナイキのアメリカ国内の売り上げは、前年度対比で70%も減少しました。
児童労働や強制労働といった問題が、一企業の問題として語られると、実際にどうだったのかといった事実の検証よりも、企業の問題点ばかりが過度にクローズアップされセンセーショナルに報道される傾向があります。昨年話題になったナイキの取締役会長であるフィル・ナイト氏の著作「SHOE DOG( シュードッグ)」で、この問題について言及しています。フィル・ナイトさんの非常に苦苦しい思いが伝わってくる文章です。「工場改革」の部分を引用します。
工場改革
ナイキが海外の工場で条件闘争にあった時も裏切られた思いがあった。いわゆる搾取工場論争だ。どの報道も工場には満足のいく条件が整っていないと言うばかりで、最初の頃よりどれほどよくなっているかについてはまったく触れなかった。私たちが工場の経営者と共に、条件を改善し、安全で清潔にするためにどれほど苦労したかは伝えてくれなかった。問題の工場は私たちのものではなく、数あるテナントの1つとして借りているだけなのだが、それさえも伝えてくれない。条件について不満を言う労働者を探し当てて私たちを非難するよう煽り、私たちのネームバリューによってニュースが大きく取り上げられるのを見越してのことだ。
私の危機への対処の仕方が事態を悪化させてしまったことは確かだ。怒って傷ついた私は何度も自分は正しい正しいと、怒りをぶつけた。私の反応はいくぶん過剰で非生産的だったが、私は自分を抑えられなかった。自分では、仕事を創造し途上国の近代化、アスリートたちの大きな目標の達成を助けているつもりだったのに、ある日目を覚ますと故郷の本社が非難の的になっている。それを知ったら、落ち着いてなどいられない。 会社の反応も私と同じで、誰もが感情的になり動揺していた。ビーヴァートンで毎晩のように遅くまで明かりをつけて、さまざまな会議室やオフィスで魂を求める会話が持たれていた。批判の大半は不当なものであり、ナイキは真犯人とこの文章からもいうより、標的でスケープゴートであることも、そのすべては的外れなこともわかっていたのだが、私たちは認めるしかなかった。もっと改善の余地はあると。
自らに言い聞かせた。改善しなければならないと。
それから世間に言った。見ていろと。工場を輝ける見本にしてみせると。
そしてそのとおりにやり遂げた。でっち上げのニュースとショッキングな暴露記事から10年後、危機を逆手取って私たちは会社を再生した。
たとえば、靴工場で最悪なことの1つは、アッパーとソールをくっつける作業を行うゴム室だ。煙は息を詰まらせ有害で、発ガン性もある。そこで私たちは煙の出ない水性の結合剤を開発し、空気中の発ガン性物質を97パーセント除去した。この発明を競合会社にも渡し、必要とする人には誰にでも提供した。
誰もがこれを欲しがり、現在はほぼどこでも使用している。
今述べたことは、数多い例の1つに過ぎない。
こうして私たちは、世の中を変えようとする連中の標的から、工場改革運動の重要な担い手となった。現在、ナイキ製品を作る工場は、世界でも最高に優れた工場の1つであると、国連の役人の1人が最近そう語っていた。今やナイキは、アパレル工場にとっての手本だと言える。
(フィル・ナイト. SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。東洋経済新報社)
この文章から、1997年当時にナイキが行っていた取り組み、そしてマスコミや消費者の反応と対比させて考えてみます。どちらが正しかったのかはわかりません。しかし、フィル・ナイトさんの経営者としてのじくじたる思いが伝わってくる点が重要です。ひとたび炎上状態に陥ってしまうと、正論すらも全く聞き入れられずに、批判の連鎖を呼んでしまうのです。ナイキほどのビックビジネスではなくても、自社の問題が顧客の名前で報道されたり、指摘を受けたりする可能性は、どんな企業にもあるのです。これは、どんな企業にも共通するリスクであり、「持続可能な調達」を実践すべき根拠なのです。
調達購買部門で「持続可能な調達」を考える場合、持続可能な調達が失われた場合の、企業として最悪の被害は、ブランド力の喪失です。フィル・ナイトさんの文章を信じれば、確かに企業としての対応に落ち度があった点を彼も認めています。しかし、かなり早い段階で問題意識を共有し、改善に向けた取り組みを行っていたとあります。事実、ナイキのホームページでは、サプライヤーの名称や連絡先、サプライヤーによっては担当者名までを明らかにしています。労働条件を確認するならどうぞご自由にやってください、といったナイキの姿勢が明確に示されている例です。こういった取り組みは、現在ユニクロを運営するファーストリテイリングでも実行されています。
バイヤ企業では、法令を批判するような労働を行っていなくても、自社と同じようにサプライヤーも適切な労働条件のもとで生産活動を行うための影響力を行使しなければならないのです。影響力を行使した結果、適切な労働条件が保たれている状態の継続が必要です。
「持続可能な調達」とは、いわゆる事業活動の直接的な当事者だけを対象にするのではありません。上図に示すような株主・投資家や、市民といった対象も、当事者として捉える必要があります。調達・購買部門であれば、当然ながらサプライヤーがその対象になります。比較的わかりやすいのですが、しかしサプライヤーの事業活動が、さらにサプライヤー、国内のみならず海外にも及ぶ場合は、直接取引がなくても管理の対象を広げ、適切な管理を実践する必要があるのです。
(つづく)