連載「2019年から2038年まで何が起きるか」(坂口孝則)

*2019年から2038年まで日本で起きることを予想し、みなさまのビジネスに応用いただく連載です。

<2037年②>

「2037年 トヨタ自動車が100周年」
これからのカイシャの形と評価軸を再検する年

P・Politics(政治):―。
E・Economy(経済):日本を代表する自動車産業各社が高齢を迎える。
S・Society(社会):人口は1億1000万人台に減少。会社のビジネスモデルと目標軸を見直すタイミングに。
T・Technology(技術):資金調達や自在調達も多様となり、価値観が重要となる。

トヨタ自動車が100周年をむかえる。日本には長寿企業が多い。それは、現代的には利益だけではない尺度の企業活動を暗に示していたともいえる。利益ではない株式会社の尺度は何か。さらにこれからの100年を考えるにあたって、新たな企業活動の活動尺度を考える年となる。

・一族経営が長続きの秘訣なのか

ところで、さまざまな先行研究によれば、老舗企業には一族の経営するファミリー企業が多いとされている。ウォルマートもサム・ウォルトンが設立し、同一族の構成員が影響力をもっている。広い意味では、フォルクスワーゲン、フォード・モーターもそうだ。

日本ではサントリーがこれにあたるし、ファーストリテーリング、竹中工務店、読売新聞もあげられる。

同族経営は、いわゆる「古臭いスタイル」として毛嫌いされる傾向がある。特定のメンバーのみが意思決定に携わり、社会とズレる可能性を感じるためだろう。実際に、不透明な決定プロセスや、情報の非公開、人事や金銭報酬などに関する従業員の不公平感がある。

ただ、利点もあるだろう。たとえば、意思決定が迅速にできる点。カリスマ性の保持。創業理念の伝達。現在では、ビジネスを所有することと、経営することが分離され、不適正な行動を抑制しようとする、コーポレート・ガバナンスが強化されている。創業一族が実権を握っている場合、不祥事の芽にたいして、従業員が物申せない雰囲気もあるだろう。非上場企業は難しいものの、上場企業であれば、社外取締役を迎え体制を構築することが重要だ。

また、一族が身を引くケースもあるだろう。たとえば、企業は成長につれて、外部からプロ経営者を雇い成長させる。しかし実際には、創造一族が支配的な影響力をもちつづける場合もある。もっとも一族が影響をもつことが悪いのではない。問題は、不正を排除し、事業の新陳代謝を促し、時代に対応できるかにある。

・老舗企業の問題点かあるいは利点か

帝国データバンクは『百年続く企業の条件』(朝日新書)で興味深い決算書分析をおこなっている。私はてっきり、老舗企業はご贔屓顧客の存在によって利益率に優れていると勘違いしていた。しかし実際には、他の業界平均とくらべて老舗企業に優位性はなく、むしろ営業外利益に競争力があり、「保有株式や土地・建物など蓄積した資産を活用して、本業外で収益を生み出している」と身も蓋もない結論を導いている。

しかし、私は老舗企業を、たんに効率の悪い企業と評価をしたくない。というのは、むしろ継続的に事業を営むことで、雇用を含めた社会貢献をしてきたのではないかと思うからだ。

トヨタが設立あるいは創立100年をむかえる2037年、2038年には日本の人口は1億1200~1300万人になっている。現状より10%の減少で、それは、単純にいえば顧客が10%減ることになる。現在、売上が10%減ってしまうと、赤字に転換してしまう企業が多い。もちろん、費用を抑えればいいだろうが、縮小する中でも利益をあげる仕組みや、世界での挑戦はよりいっそう求められる。

ところで、トヨタ自動車は、「AA型種類株式」を2015年に発表した(https://www.toyota.co.jp/pages/contents/jpn/investors/stock/share_2015/pdf/commonstock_20150616_02.pdf)。これは、テクニカルな説明を省くと、ちょっと変わった株式だ。配当額が、初年度から発行価格に対して年率0.5%、1.0%、1.5%、2.0%、と上昇し、5年度目以降は2.5%となる。ということは、中長期的に保有すればするほど、中長期的に同社を応援するほど、率が上昇していく。

短期的な売買を繰り返し、ときには1秒未満でトレードを繰り返し、利益を得る。株主は事業によって社会貢献を目的としているはずなのに、利益だけが自己目的化してきた。もっとも会社は株主のものだから、それに反対するいわれはない。ただ、私はトヨタ自動車の取り組みを、ある種の、時流への反抗とみている。株主が会社を保有するので、そもそも倒錯した話だが、中長期的な価値の創造にこそ意味があるという姿勢だ。

いや、もっとも利益などで計る自体が古いのかもしれない。アルビン・トフラーが『第三の波』を書いたころから、利益に代わる尺度が模索されてきた。たとえば、かつて、江戸時代では年貢は米のことで、商人の利益には税金がかかっていなかった。そして固定資産税もない時代があった。その時代にもっとも価値があるものは理解されない。現在、フェイスブックやグーグルの社名を隠して貸借対照表を見ると、世界的な影響力をもつ企業とはわからない。それは、いまの会計制度が価値を正しく評価できなくなっているからだ。

さらに株式市場以外でも、クラウドファンディング、ICOなど、多様な手段で資金を獲得しやすくなってきた、また、フォロワー数が多ければ、ビジョンを語りプロジェクトに参加を募れば、人的な援助も受けられる。いわゆる私たちは、旧来の尺度である「お金」の価値が下がっている時代に突入しつつある。

・一つの尺度を超えて

と、ここまで、企業が利益尺度から脱する可能性を書いた。しかし、さらに考えれば、利益が一つの尺度である以上、雇用や社会貢献、そして公共性というのも、究極的にはひとつの尺度であるに違いない。いや、もっといえば、100年続くといった継続性すらもその一つにすぎない。

私は株式会社の仕組みが、そんな簡単に崩壊するとは思わない。ただ、一つの企業体にたいする評価尺度は多様になっていくだろう。

ひどくめんどうくさい話だが、となるとまわりまわって、私たちは「信じたことをやれ」と先人たちの卓見に原点回帰するだろう。それはきわまりなく凡庸だが、その凡庸のなかに真実があるに違いない。

・勉強会の開催経験から

ところで私は20代のころ、ささやかな勉強会を開催していた。本を読む、そのひとに連絡する、会いに行く、講演をお願いする、人を集める、酒を飲む……と繰り返していた。この過程で私が驚いたのは、多くの著者たちがどの馬の骨ともわからない若者のアポイントをたやすく受け入れてくれたことだ。むしろ、若者の訪問を歓迎さえしてくれた。

その勉強会もマンネリに陥り、最後に私たちは、勉強会からの学びをまとめようとした。さまざまな背景や事業や人生経験のある著者たちだったが、まとめると三つに集約できた。

●朝早く起きて仕事をしなさい
●学び続けなさい
●他人に優しくしなさい

なんと面白みのない、くだらない、凡庸なものだろう。みんなは笑いあった。しかし、繰り返すと、きっと真実は、その凡庸のなかにあるに違いない。それらが重要だと、馬鹿者の私も知っていた。

私たちは、何かを求めている。どこかに、何か、自分の知らない秘密があるのではないか、きっとどこかに商売を激変させる逆転策があるのではないか――と。ただ結局は地道な活動を重ねていくしかない。

そしてさらに、自分の信じた道で、社会価値を提供できるように――。これから、企業活動、あるいは大げさにいえば、ビジネスというものに可能性があるとしたら、私はそのような形でしか、もはや信じることはできない。

<つづく>

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい