困難の時代、感情創出の時代(坂口孝則)
・疲れきったバイヤーたちへ
年収2000万円の人と話ました。しかも、その人は土日の休みをしっかりとっています。別に怪しげな職業の人ではありません。
その人の仕事はメンタルヘルスです。東京の中央線上の駅近くに、一人でクリニックを営んでいます。どういう仕事か。ご想像つきますよね。悩みを抱えたビジネスマンと面談して、いくつかの処方箋(これはクスリという意味ではありません。人生の指針という意味です)を与える。これだけで年収2000万円というのです。
1時間のクリニックで2万円。それで一日5人の予約が入っているそうです。とすると、一日10万円ですよね。それを1年間続けるわけですから、諸費用を抜いても、年収2000万円は可能だというわけです。
私は、このような高年収を得ている人を批判しようとは思いません。そのサービスが需要を喚起しているわけですから、素晴らしいことでしょう。しかし、私はその予約数の「すごさ」にびびりました。
「すごいですね。おそらく、特殊なカウンセリング技術をお持ちなんですよね?」と訊いた私に、その人はあっさりと答えてくれました。「いや、そんなこと、まったくありません」と。「いまでは、どんなクリニックも予約で満員で、予約を断っているところもありますよ」だそうです。
実際、いくつかのクリニックの様子を聞いてみました。驚いたのは、「病んでいる」人の多さです。私は鬱病と鬱状態を混乱したくはありません。報道されているほど、鬱病の人は多くないようです。しかし、気が落ち込む、やる気にならない、何も手につかない、という鬱状態の人が多いことは事実のようです。
これまで、日本企業で働くビジネスマンにとって、メンタルクリニックや病院に行って鬱状態を診断してもらうことは、どこか「恥ずかしいこと」でした。ただし、鬱状態といっても、別に恥じるべきことではありません。その意味では、病んだ状態のビジネスマンたちが、診断に出向くことは、一概に嘆くべきことではないでしょう。
しかし、です。
やはり予約が満杯だという事実に、私は複雑な感情を抑えきれませんでした。中央線では、いつも自殺者で電車が止まっています。そして、メンタルクリニックの繁盛。
私は自殺者3万人時代というフレーズを簡単に使いたくはありません。日本人の自殺者の多さと、欧米の少なさのあいだには、宗教的背景があるからです。
とはいえ、この鬱状態の人の多さはすごすぎないか。商売の売買にかかわる人たちが多いとも聞きます。営業マンとバイヤーが、その意味では、もっとも疲れる職種なのではないか。私がこの文章の小見出しを「疲れきったバイヤーたちへ」としたのは、そのような理由があります。
・感情創出時代
バイヤーのみなさんに会うと、最近話題になることが三つあります。「部品が入りません。納期調整が大変です」「会社の業績はあがってきたのですが、人数が足りません。仕事がまわりません」「値上げ申請が続いて大変です」。もちろん、こんなことを軽々とこなすポジティブなバイヤーのみなさんもいます。しかし、私は(マジョリティではないものの)、このような苦しみを発する人たちを、どうしても注目したいのです。
大変だ、という感情の裏に、「とはいえ、これは将来の喜びのためだ」という確信がなければ、ほとんどの人は仕事を続けることはできません。大変なものを、純粋に大変なものとして愉しめる人はほとんどいないからです。ある種の達成感や、ある種の愉悦が待ち構えていないと、人はすぐにつぶれてしまいます。
利益が出ず、お金が足りなくなった企業は、社員に「夢・モチベーション・やりがい」という言葉を投げかけます。要するに、ほんとうは高度成長期のように給料をばんばん上げてやりたいけれど、そんなことはできないから、社員に違うものを与えよう、というわけです。「夢」という言葉が多用されるのは、逆説的に「夢がない」時代の特徴です。ほんとうにそのようなものが社内に満ち溢れていたら、あえて強調する必要すらないからです。
私たちは、相手や場面に応じて感情を変えることを要求されています。「お客の前では笑顔で!」「愉しく仕事をしよう!」「つらいことがあっても、笑顔を忘れずに!」。そのような要求は、ときに社員を鼓舞しますが、それが続くと社員は困憊し、そしてそのうちに歪みが表出します。
まさに、現代は「感情創出時代」ではないか、と私は思います。自分の本来の感情とは別に、要求された、求められている感情を自ら創出するしかない時代。怒っているときも、哀しいときも、明るい態度を求められれば、それを演じるしかありません。
現在、「睡眠導入剤」なるものが売れています。あれは、要するに睡眠薬のことで、精神安定剤のことですよね。私は元気いっぱいに見えるビジネスマンから、「これを手放せません」と聞かされて驚いた記憶があります。みんな大変なのですよね。だから、一日一日のことを忘れて、なんとか明日に向かうしかない。感情が落ち込んでいるときも、それを出さずに仕事をするしかない。
私は、通常の仕事において、本来の感情をセーブして仕事にあたることは、プロの条件だと考えています。しかし、その抑圧があまりに激しいと、そのまま心に支障をきたす人がいることも理解しています。
感情創出時代においては、自らの感情を表に出すことはできません。自己ではなく、他者が求めている感情を出すことが唯一価値だからです。おそらく、この読者のなかにも、かなり疲れきった人がいらっしゃるのではないか。
さまざまなパターンがあるがゆえに、ここでは解決策を提示することはしません。それが、真摯な態度だと思うからです。
ただ、他者に対する接し方について一つだけ述べておきたいと思います。それは、人の感情が、仕事の成果に多大に反映する以上、これからは部下や同僚への「過剰なまでの気配り」が必要になるということです。単に「お客の前では笑顔で!」「愉しく仕事をしよう!」「つらいことがあっても、笑顔を忘れずに!」ではなく、部下と同僚個々人の具体状況を見たアドバイスが必要になるはずです。
・せめてこの時代を生き抜くために
個々人の具体的状況を考慮したアドバイスをするためには、他者が「感情創出時代を生きている」という理解も必要となります。他者も、なんとか時代に合わせて感情を無理やり作ってくれているのだ、と理解する優しさ。面倒くさいほどの、他者理解が欠かせません。
これまで、部下を指導するときに必要なのは「怒ることだ」とされていた時代がありました。怒って叫んで、それによって部下を覚醒させるというやり方です。その次に、「ほめてあげる」という指導法が、それに代わりました。怒ってしまっては、すぐに部下は辞めてしまうし、叱る方も叱られる方も、両者が困憊してしまったからです。
では、「怒る」「褒める」の次は何か。私は「笑わせる」ことだ、と思います。感情創出時代の困難のなかを必死に生きている部下や同僚を元気づけ、指針を与えるためには、笑わせることなしには不可能ではないか。そう思うのです。
感情をなんとかしぼり出している人たちに、(大袈裟に言えば)何らかの方向性を与えるものは、笑いによる手段です。これからのリーダーは、人を笑わせる技術を身につけなければいけない、ということになります。
とするならば、今もっともヤバい職場は笑いのないところでしょう。経済が落ち込んでいる、感情を創出している。そんな時代にあって、さらに笑いすらない、というのは非常に危惧すべきことでもあります。
みなさんは、最近同僚の誰かを笑わせましたか?
ミクロな処方箋は、この「笑わせること」であると、私は強く思うのです。