連載「2019年から2038年まで何が起きるか」(坂口孝則)

*2019年から2038年まで日本で起きることを予想し、みなさまのビジネスに応用いただく連載です。

<2026年②>

「2026年若者マーケティングのキーは、SNSと愛国になる」
沈みゆく国の、しかし満足している若者たち

P・Politics(政治):若い低所得層の税負担軽減のため基礎控除枠が拡大。
E・Economy(経済):学生は仕送り金額が最低へ。若い社会人も消費支出を減らす。
S・Society(社会):逆説的に若い層の生活満足度はむしろ高まり、愛国的な傾向を見せていく。
T・Technology(技術):SNSなどがさらに発展し、ライフログを簡単に公開できるようになる。

残念ながら経済的には恵まれているとはいえない若者たちは、しかし、生活の満足度をあげている。消費支出はたしかに減っているものの、合理的な消費を行っている。SNSで日常をシェアし、そして愛国的な傾向を濃くする若者たち。彼らに必要なのは常時接続の人間関係のなかで「いいね」を得られる商品となる。

・①金はないけど満足

平成29年「国民生活に関する世論調査」を見てみよう(http://survey.gov-online.go.jp/h29/h29-life/zh/z02-1.html)。この調査が定義する満足(「満足している」+「まあ満足している」)の比率は18歳から20代の若者がもっとも比率が高いのは注目に値する。8割は、もう現状に満足しているのだ。

だから別にモノによって自己顕示をする必要もない。乗るだけならカーシェアでいい。若者はセコいというよりも、合理的になった。

たとえば、若者の消費離れで指摘されるのはクルマが多い。デート車として使われている2ドア車はずっと売上比率を減らしている(http://www.jama.or.jp/lib/invest_analysis/pdf/2015PassengerCars.pdf)。


バイクも売れていないが、消費者からの安全性に不安がある、という声ならまだわかる。面白いのは、「電動自転車」を代替商品としてあげるケースが多くなっていることだ。ここにも合理性が見て取れる。

②等身大のカリスマが好き

また、特徴的なのは、インスタのようなSNS経由で消費している点だ。商品を探すというより、たまたま出会った、というべきだ。かつての世代が楽天で商品を検索していたところ、いまの世代はインスタで”偶然見かけた”商品を確認しに行っている。

よく無縁社会というけれど、若者が直面しているのは多縁社会ともいうべきものだ。TwitterやInstagram、LINEでつねに接続している社会。若者はよく自分の意見をもっていない、とどの時代もいわれるけれど、とくに現代では「いいね」を集めるために自分の意見は漂白し「楽しそう」「面白そう」と思われることを優先しだした。

つまり、こういうことだと思う。いわゆる昔の企業的な商品から離れているだけではないだろうか。その代表例がインスタグラムだろう。インスタグラムは写真投稿を中心とするSNSで、消費にも大きな影響を与えている。企業が作り込まれたCMを流すよりも、インスタグラマーといわれるインフルエンサーが紹介したほうが売れる。

マーケティングの世界ではROI(リターンオンインベストメント)という。これは、投資したお金にたいして、どれだけの見返りがあったかを見る指標だ。たとえば、テレビでは1000万円を投下すると、1300万円くらいの売上が見込めるとされる。この計算は、ほんとうは正確ではなく、いったん商品を買ってくれた消費者はふたたび商品を買ってくれる可能性が高いから実際にはもっと生涯売上は高くなる。ただいったんこの数値を採用すれば投下金額にたいして1.3となる。

そのいっぽうでインフルエンサーマーケティングは、テレビCMほどの資金投下は不要であるものの、そのリターンで見ると2~3にいたる。つまりテレビCMよりもはるかに効率が高い。

日本には、いくつかのモノ雑誌がある。私もその一つで連載をもっている。モノの仕様を検証し、そして類似品同士を比較検討し、どれが優れているかを分析する。ただし、若者からすると、それほど非効率なものはない。その道のグルが勧めているものを買えばいいからだ。

もちろん、そのグルのステマかもしれない。だからステマかどうかを見分ける嗅覚が異常に発達してきた。そのひとがほんとうに勧めているかどうかをひとびとは感じるようになってきた。しかしそれでもグルが推奨する商品は、まれに劣位なものかもしれない。ただ重要なのは”おおむね”間違いなければ良い点だ。検証記事を読んだり、自分で比較検討したりするよりも”おおむね”正しければSNS経由で情報を入手したほうがはるかにスピードは速い。

③日本が大好き

野村総研が2015年に発表した「生活者1万人アンケートに見る日本人の価値観・消費行動の変化」によると(https://www.nri.com/jp/event/mediaforum/2015/pdf/forum229.pdf)、「日本の国や国民を誇りに思う」とした若者の増加が顕著である。とくに10代と20代の伸びが目立つ。たった15年で8割弱(44.4%→75.8%)もの若者が傾倒している。

さすがにこれは多いと思いきや、類似調査も同傾向だ。NHK放送文化研究所『現代日本人の意識構造』では、「日本は一流国だ」「すぐれた素質」といった日本にたいする自信について伸びているとわかる。

おそらく、野口悠紀雄さんの次の指摘ほど的を射ているものはないだろう。野口さんは80年代までの終身雇用を前提とした構造を説明したあとで、こう語る。

<しかし、それは、90年代以降の日本経済の長期的な衰退過程の中で変質した。企業がもはや終身雇用を約束できなくなり、非正規労働者が増えてきたからだ。最近では、非正規労働者が全体の4割にも及ぶ。企業に帰属し得ない若者たちは、どこに拠り所を求めるか。それは、学校で教えられてきた概念である「日本国」だ。国が彼らを守るというのは幻想にすぎないのだが、国に対する依存が強まる。歴史上初めて、人々が国に帰属意讖を持つようになったのだ。それは、外国人に対する強い嫌悪感と密接に結びついている。(野口悠紀雄『世界史を創ったビジネスモデル』)>

・節約、SNS、日本

節約志向にならざるをえない若者にたいして、居酒屋も施策を重ねている。学生割引からはじめ、低価格メニュー化を進めている。安い金額で、しかし、飲むなら手っ取り早く酔えると喧伝したセンベロ酒場もある。これは千円でも、ベロベロに酔っぱらえる酒場を指している。

SNS志向としては、たとえばお菓子のプレスリリースを見ると、いたる商品が「インスタ映え」を喧伝している。外食店舗も、これからは店内じゅうが写真を撮られる前提でデザインされねばならないだろう。衣料店では「試着ファッションショー」がある。これは試着だけして友達同士で楽しんだり、Instagramにアップしたりする遊びだ。

Instagramで拡散されればたしかに集客できるからと、ディズニーランドも追随した。ディズニーランドでコスプレを楽しむトレンド(基本的には禁止されているものの、ディズニーハロウィンの一定期間のみ可能とされている)もSNSと無縁ではない。

若者にとってはCMがリアリティのない世界に映っている。自動車CMのなかに出てくる、幸せ家族像に、まったくリアリティを感じられないのだ。それならば、Instagramで見る一枚の写真がはるかにリアリティをもった世界に私たちはいる。

個人的には生活を晒して切り売りしているみたいで好ましくはない。ただこれからもSNS映えを意識した商品づくりやマーケティングが盛んにおこわなれるだろう。

最後に、愛国マーケティングは隣国でさかんに行われているが、なにもあからさまな右翼的志向だけではない。文化として日本的なものにふれる場合も、これを指す。たとえば京都や鎌倉、寺巡りや仏像をまわったり、歴史を好んだり。商品開発時にも、日本人のDNAから探すのは有効になるはずだ。

・なんとなく、わからない

音楽と同じく、著作の引用に対価が払われていたら、きっと田中康夫さんは大金持ちになっていたに違いない。よく消費文化を語る際に、田中康夫さんが一橋大学4年生のとき書いた『なんとなく、クリスタル』(1980年)が引用される。たとえば、こういう具合だ。

<テニスの練習がある日には、朝からマジアかフィラのテニス・ウェアを着て、学校まで行ってしまう。普段の日なら、気分によってボート・ハウスやブルックス・ブラザーズのトレーナーを着ることにする。スカートはそれに合わせて、原宿のバークレーで買ったものがいい。
でも、一番着ていて気分がいいのは、どうしてもサン・ローランやアルファ・キュービックのものになってしまう。いつまで着ていても飽きのこない、オーソドックスで上品な感じが魅力になっている。>

とこんな調子で、主人公が自身の趣味を多数の固有名詞とともに書き連ねられている。そしていっぽうでこうも書かれる。

<私たちが外に出ようとすると、ちょうど入れ違いにカップルが入ってきた。
女の子の格好が傑作だった。クリスチャン・ディオールのシャツに、前面に大きくマークの付いたランバンのスカート、ウンガロのキャンパス地のくつ。バッグはヴァレンチノで、なんと御丁寧なことには、この蒸し暑いのにエルメスの大きなスカーフまでしていた。>

これは、非常に重要な文章だと私は思う。AとBが対置され、Aのセンスは良いが、Bはいただけない、わかるだろ? と、さもある水準のセンスを当然のように要求している。おそらく、当時の読者はAもBも意味不明だったはずで、そこに残ったのは驚きだけだったはずだ。そこにはこの小説を権威づける何かが存在している。

とはいえ、これを昔の若者消費行動における象徴とみなすのはどうかと私は思う。高校生のとき読んだ私はほとんど意味がわからず混乱し、大学生になってから周囲のおとなに訊いてみたが「自分とは無縁の世界だ」といわれた。あくまで都会の一部が理解していただけだし、その他はスノッブな受け止め方をしていたにすぎない。そもそもこれがセンセーショナルなヒットを飛ばした事実自体が、実態と乖離していたからだ。

田中康夫さんが『なんとなく、クリスタル』が描いた主人公がいまの大学生だったら、いわゆる”パリピ”なのではないだろうか。原田曜平さんは『パリピ経済』のなかで、トレンドを作り出し周囲に情報を発信するカタリスト(媒介者)をパーティーピープル=パリピと呼んだ。イベントで人集めの中心となり、DJやモデルをこなし、そして裕福な家庭育ち――。つまり、『なんとなく、クリスタル』描かれたのは若者一般像ではなく、どの世代にもいる一部の層ではないか。

ときに彼らが消費の代表のように説明されるケースがある。ただ、彼らは。良い意味で、先端のハズレ者だ。マスの若者は、地味に、そこそこで満足し、堅実に生活し、SNSで知人の「いいね」を希求しながら、そして日本を愛し生きていく。

・若者の体質

ところで、私がいつも驚いてしまうのは、SNSに自然体で自慢できる現代若者の体質だ。私などまだ逡巡があって、どうしても自分の写真をほとんど載せられない。有名人と一緒だとか、そういう言い訳がなければためらいがある。

97年ころからネットを使ってきた私からすると、だいぶ日本人のプライバシーに関する考え方が変化してきたように思う。

若いひとのSNSなどを見ると、それが当たり前かのようにのびのびと自己写真を掲載している。おそらくハロウィンも、「こういう格好の私もいいでしょ」と、ごく自然に見せたい願望の先にヒットしたイベントだろう。花火大会の浴衣、成人式での着物、そしてハロウィンでの仮装がおそらく定番になっていく。そして、それが友だちと一緒に行うイベントであるという側面は無視できない。Instagramは現代の化粧となっているから、現実をよく見せられるようなツールは常に需要が高い。

また、もはや、彼らにとって現代の出家は、スマホを手放すことだから、その出家を楽しむ空間もニーズが高まるに違いない。

<つづく>

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