連載7回目「日本人はこれから何を買うのか」(坂口孝則)

・見えない宗教の目的

前回まで、有名人たちが知らずうちに「見えない宗教」を開始し、そこで無意識にビジネスを展開するさまを述べた。

その「見えない宗教」で触れた有名人たちのサロンなどでは、とはいっても、拝金的な説法を聞かされることはほとんどない。むしろ、新たなビジネスやスキル、能力開発について、貪欲なほどさかんな議論がなされる。

これまで旧来宗教は、争・貧・病を救うとされてきた。そして、その争・貧・病のただなかにいる状況であっても、人生の意味を感じるべし、という教えは、不遇を正当化する働きをもってきた。その体制を批判的にとらえ、変革運動につなげようとする動きには乏しかった。

その意味では、「見えない宗教」が平和的に、自己の改革を目指そうとし、かつその先に社会をよくしようという気持ちをもつのは、特徴的だといっていい。また、旧来的な宗教がひとを救うのは、死後の場合がある。よく知られている通り、原始仏教では、輪廻の輪から抜ける、抜けないにかかわらず、すくなくとも死後の世界に答えを見つけようとする。キリスト教も原罪からの解放は死後となっている。争・貧・病から離れた私たちは、いま、現世利益的な即時性を求めている。そしてそれは必然だった。

・私の受けた衝撃

かつて私は自動車メーカーで働いていた。そのときに、仲の良い設計者が突然、会社を辞めると教えてくれ、衝撃を受けたことがある。彼は、アジアあたりを旅行しながら、しばらくぶらぶらと生活してみようといった。私は衝動的に「それはやめたほうがいいんじゃないか」といった。「日本に戻ってきても、仕事がないと思うよ」と。

ひとが挑戦しようとするとき、誰かが止めようとする。しかし、止めようとする理由は、羨望の裏返しの場合が多い。私も、例にもれず、うらやましさの反動にすぎなかった。当時の私は完全に行き詰まっていて、次の展開について思いつめていた。だから、ほんとうはいいたかったのだと思う。「あなたのことが、ほんとうにうらやましい」と。

自動車メーカーの設計者とは、各国の法規制にくまなく目を光らせ、そして部品重量を数グラム削るために奔走し、さらに車内レイアウトのために社内で喧々諤々の議論を繰り返さねばならない。そのような複雑怪奇な業務に身を委ねながら、彼は、ただただ、「自分はどう生きるか」という単純な問いをみずからに投げ続けていたのだ。

人生の疑問に揺り動かされていたのだ。

そして私の説得に当然ながら応じない彼を見ていると、次は逆に、彼のなかから希望を見つけられないかともがいていた。「なぜ決断したのか」「どうやって思い切れたのか」それらの質問のなかから私は無意識のうちに、自分を励ましてくれる何かを見つけ出そうとした。

私は彼に洗脳されることを望んでいた。彼の自身にあふれた目の奥には、きっと、この瞬間だけでも私を救ってくれる刹那が眠っているはずだった。

いまかんがえれば、「自分探し」というあれである。しかし、若い私を揺さぶるにはじゅうぶんだった。

・自己啓発の発明

さきほど「自分探し」と書いた。いわゆる自己啓発が可能になるためには、「自分で自分を変えられる」という前提がある。また、「自分で人生を決められる」ことも前提となる。すくなくとも、他者から与えられた作業だけをこなし、完全に決められたレールだけを歩くとすれば、自己啓発の余地はない。

親から職業を引き継ぎ、つべこべいわず、とにかく仕事をこなすことが求められ、それが当然だと思う時代であれば、自己啓発とは無縁だ。しかし、世襲がなくなり、食うだけならなんとかなり、何をやっても”自由”な私たちゆえに、逆説的に自己啓発が必要となる。

自己啓発誕生の舞台は1961年の米国だ。それまでの人間のありようを変えようとした二人の人物がいた。(マイケル・)マーフィーと(リチャード・)プライスだ。瞑想、東洋思想、宗教、哲学に興味があった二人は、1961年にカリフォルニアの保養地を訪ねていた。そこで二人は、その場所を、同嗜好のひとびとが集まる施設にしようとアイディアを出した。施設を改修し、宿泊施設をつくり、セミナーを開いて収益化する。そうすれば、好きな学問にも没頭できる。

マーフィーとプライスの構想では、そこでセラピーやセミナーが開催され、心理学や哲学などが研究され、深い人間理解が可能となるはずだった。その場所は、それまでのような学術体系とは異なり、人間そのものに焦点があてられていた。ここでは、人間そのものの神秘と可能性が研究対象であり、革新的なことだった。

ヒッピー文化も巻き込んで米国ならびに世界中に一大ブームを巻き起こす、ヒューマンポテンシャル運動(ヒューマンポテンシャルムーブメント)はここが起点であり、有名なエスリン研究所もこうやって誕生した。伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である――という当たり前は、こうやって生まれた。

エスリン研究所が神秘的で開放的なセミナーを開いていたとき、ベトナム戦争は泥沼化していた。それまでの保守宗教は現実を前になすすべもなく、あらたな”何か”が求められていた。

このエスリン研究所にかかわった人物として有名なのは、あのアブラハム・マズローだ。説明するまでもなく、マズローの欲求5段階説が有名だ。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求を経て、自己実現の欲求にいたるという、あれである。

エスリン研究所やヒッピー文化自体は、当時の勢いを残していない。しかし、自己啓発的なものは生き続け、さらに一部はビジネス化していった。

エスリン研究所は、ベトナム戦争の行き詰まりを受け、社会を変えるのではなく、自己を変容させようとした。そののちに、PCブームが到来した。そこではパーソナルコンピュータという小さな箱を使えば、実は社会や世界が変わることが明らかになった。しかし面白いのは、それが発展し、インターネットを生み、SNSを生み、サロン文化を生んだとき、等身大カリスマの情報発信がたやすくなった。そしてふたたび自己啓発はあらたな形で蘇ってきた。

<つづく>

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