連載3回目「日本人はこれから何を買うのか」(坂口孝則)

・マス・カスタマイゼーション

大量生産の側も、社会的消費に対応するかのように発展をとげた。私たちは、どこに行っても同じものを購入できる、その利便性に退屈してしまった。かつて、アメリカでケンタッキーフライドチキンのようなチェーン店が爆発的に広がったのは、業務のマニュアル化が卓越していた事実もさることながら、旅行者が安心できたのが大きい。どこかの新たな地で、見知らぬレストランに賭けるよりも、味がわかっているケンタッキーに入ったほうが、すくなくとも及第点にはなる。

しかし、いまではスマートフォンからインターネットにつなげば、すぐさま各店のレーティング(お客からの採点)を把握できる。駅を降りたら、スマートフォンに話しかけ、そのまま未知なる店を楽しむ遊び方まで登場した。

それに重要なのは、好みが解放されたことだ。私たちは、既成品以上に、なぜだか、一点ものや、自分だけにカスタマイズされたもの、すくなくともその地域や店でしか買えないもの――他にはない存在感があるもの――に、訴求される場合が少なくない。

大量供給の代表格と思われているものに、スーパーマーケットや、コンビニエンスストアがある。そのうち、大手のスーパーマーケットについては、このところ、地域スーパーの勢いがあり、苦戦が報じられている。それは、地方の細かな需要に追随できる地域スーパー、VS、全国統一的な品揃えを是とする全国スーパーの構図とみればわかりやすい。

かつては、大量仕入れ、値引き、大量販売、と流れる方程式があった。残念ながら、その方程式が現在は逆に作用している。

ただし、コンビニエンスストアの狡猾さは注目していい。現在、大手スーパーでは、プライベートブランド商品ばかりで食指が動かない。そのいっぽうで、セブン-イレブンはもちろんプライベートブランドの品質向上には努めているが、同時に、地域限定商品の劇的な拡充を目論んでいる。現在は、その地域限定商品の比率は10%にすぎないというが、それを2017年までには50%(!)に引き上げる。地域の特性を考慮したうえで、商品仕入をかなり細かく実施する。

以前、コンビニエンスストアが広がるほど、日本は金太郎飴のような均一化が生じると危惧した論者がいた。しかし、現状は、その逆に進んでいるのである。セブンは、万代と組むが、なぜ地方部に強い企業と連携したかといえば、その意味は、その地域限定商品の点から読み解かねばなるまい。つまり、地域独自商品のサプライチェーンを有すことが、これ以降の差別化と成長にとって欠かせないと判断したのである。

工業商品側もおなじだ。マス・カスタマイゼーションなる潮流がある。これはさまざまな訳が可能だが、ここでは「微量一個生産を可能とする、柔軟な製造システム。個々人の嗜好にあわせた特注品の製造」と定義しておこう。つまり、これまで大量生産によって少品種を提供していたところ、顧客の好みが多様化するなか、一品生産を可能とするものだ。

個々の対応によってコストが1割アップしたとしても、売価が2割以上アップすれば問題がない。利益は向上する。要は、顧客に付加価値を感じてもらうことにある。たとえばナイキやコンバースは、顧客に好みのシューズを注文できる仕組みを以前から構築している。ナイキは「NIKEiD」というサービスで、まさにマス・カスタマイゼーションを具現化した。日本語のサイトでは、「あなたとNIKEとのコラボレーション。ジブンの望みどおりにシューズをカスタマイズしよう。」と謳っている。

これは顧客の設計者化ということもできるだろう。ものづくりの楽しさを広く公開し生産に関与いただく試みだ。コンバースはたとえばニューヨークの店舗においては、このマス・カスタマイゼーションによる受注が全体の10から12%をも占めている。

消費者の需要の正確な予想は不可能であるものの、顧客に任せればクリアできる。自分が商品をクリエイティブできる、その一点に顧客はお金を支払う。

とくに衣料品のように個人のアイデンティティと直結するようなものは、この傾向が高い。前述したように、既製服であっても、なかなか他者と被ることはない。ただ、それ以上に、自分だけの一品を求める傾向が強い。

これはさらに近年の消費者の傾向ともいわれる。つまり、これまでは完璧にジャストフィットした服を求めようとはしなかった。多少サイズが異なっていても、それを多少の不満はあれども着ていたものだ。しかし、SNS時代の消費者は、自分にカスタマイズされた情報を享受するのに慣れている。それは商品であってもおなじことだ。

たとえば水着はどうだろうか。腰で履くだけの男性と異なり、女性はさまざまな部位の形状によってフィットする水着が異なる。しかし、現在は既成品のなかから選ぶしかない。まさに時代遅れの製造手法によって生産される水着は現代の女性にふさわしくない。

面白いのは、ジャストフィットした水着を着ることが、欧米では女性解放として論じられていることだ。これまで、女性の自由が叫ばれながら、実は、大量生産した「見た目だけ」の個性を訴えるしかなかった、という。

また、Knyttan社では、顧客が生地をデザインし、それを元に被服類を生産し提供している。同社はアプリなどを経由してスカーフやジャンパーなどのカスタマイズを提供している。これは既存生産システムではなく、既存のデザイナーへの挑戦ともいえる取り組みだ。生地の3Dプリンティング技術を活用し、それぞれの好みに合わせたニット商品を生産する。

驚くのはその速さだ。これまでカスタマイズ商品であれば数ヶ月ほど待たされるのは当然だった。デザインを決めてから、ただちにそれがマシン語に転換される。たとえばスカーフであれば20分で製造が済む。そしてジャンパーであっても1時間半だ。これならば何着も欲しいと思うひとがいる。しかも、自分がデザインした服なのだ。

ヴェブレンは代表作『有閑階級の理論』において、顕示的消費の誕生を描いた。これは、下層のひとたちが上流層に追いつこうと、ファッションなどで積極的な消費をおこない、そして上流層は追いつかれないように、新たなモードに身を包もうとする際に、その顕示的な消費が生じるとしたものだ。そのサイクルのなかでひとびとは、無限に続く消費活動に没頭せざるをえず、たしかにそのようにトレンドは生まれてきた。

しかし、その上流層の”逃走”も、マス・カスタマイゼーションにおいては、止まろうとしている。逃走するもなにも、個人的嗜好が優先される時代では、そこには定まった方向がないのだから。

・シェア文化とその破壊性

マス・カスタマイゼーションの時代にあって、旧来的な大量生産製品はどうなっていくだろか。私は企業のサプライチェーン網構築や調達業務のコンサルティングに従業している。製造業、建築、電気、食品が中心だ。現場では、協力会社である中小企業との関係構築に悩みを抱えている。建築業の一部を除けば、発注する仕事がないのだ。製造業では海外生産、現地調達に切り替えることによって、海外取引先の比重が大きくなった。

数年前から国内回帰なる言葉が登場し、生産が日本に戻ったかのような報道もあったものの、一部に限られている。また、米国がそうであるように、いったん捨ててしまった産業を復活するのはたやすくない。ネット通販が隆興しているため意外に思われるだろうが、国内貨物輸送量は、平成8年(いまから約20年前)度の68億トンをピークに減少しつづけ、現在では48億トンほどに落ち込んでいる。これはおもに、企業間物流の減少によるところが大きい。

さらに、現在、シェアリングエコノミーの潮流がある。これは遊休資産の共有ならびに、仲介を指す。たとえば、カーシェアやAirbnbが展開する民泊のように、新たな経済圏と捉える見方は多い。消費者にとってはメリットが大きいだろう。しかしこれは生産者側からは、将来の生産台数減少を意味する。

有名な英国バークレイズ・キャピタルの予想では、2040年までに自動車販売が40%減少するとしている。私が思うに、中小企業の生産活動に関わる問題はここにある。つまり、現代的問題とは、生産活動がそもそも瓦解することにある。中小企業でマス・カスタマイゼーションに対応できるところは残念ながら、ほとんどない。

海外に需要があれば海外に出て、海外でサプライチェーンを構築せよ、と識者は語る。しかし、現状を見てみると、いわゆる資本金5000万円に満たない中小企業が海外に進出している比率は、わずか0.7%ていどにすぎない。

現在、起きているのは、消費者のマス・カスタマイゼーション対応による、大量生産の崩壊。そして、シェアリングエコノミーによる、さらなる追い打ち。そして、中小企業は危機的状況に陥っている。そして中小企業がその品質を武器に闘おうと思っても、さらにややこしい課題が横たわる。それは消費者の嗜好が「イメージ消費」化し、さらに「イメージ責任」のコストを負わねばならないようになったことだ。

<つづく>

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