調達業務には、歴史的視座からの戦略が必要である~第二回(坂口孝則)
・国民の性質が生んだものづくりの変化と差異
さて、日本と欧米の料理や皿から見た差異を、近代的ものづくりの枠にあてはめてみます。日本は、垂直統合型のものづくりが得意といわれ、欧米では、水平分業のものづくりを勧めてきたといわれます。
●垂直統合型:中長期的な関係構築を前提とする。ピラミッド形の産業構造ともいわれ、上位のアッセンブリーメーカーがティア2メーカーに、ティア2メーカーがティア3メーカーをコントロールし、すりあわせながら製品を設計・生産するやりかた。付加価値の源泉をグループ内で共有しながら、上流から下流までを統合すること
●水平分業:製品の開発や生産等を、それぞれが得意な外部に発注をすること、各社の強みを持ちよって商品を効率的に作る。製品の各要素がモジュール化していることが前提で、アッセンブリーメーカーは顧客の要望を聞きながらモジュールを組み合わせる
以前の定義では、次のようなものでした。
●日本:フラット、並列、奥行き無し、のものづくり
●欧米:多層化、流動的、奥行きあり
ここで、日本の「奥行き無し」、欧米の「奥行きあり」の特徴だけ見れば、欧米のほうが垂直統合にふさわしい文化ではないかと思うかもしれません。しかし、自動車メーカーという、The垂直統合の企業に勤務した経験からいうと、その「奥行き無し」「奥行きあり」の本質はまったく別の解釈をせねばなりません。それは、日本のものづくりでは、取引を行う企業集団の文化をすべて統合し、文化的な差のない=奥行きのない、構造を志向してきたと考えるべきなのです。
●日本:フラット=グループ内の文化は統合されている、並列=グループ間では誰もが一つの製品に集中してものづくりを行う、奥行き無し=使用言語が統一されたものづくり
●欧米:多層化=企業間の文化は当然、多様性があり、流動的=グループ内の概念は薄く、ティア2は他のアッセンブリーメーカーとも付き合う、奥行きあり=使用言語がばらつくなかで、KPI(キーパフォーマンスインジケーター:業績評価指標)で管理されるものづくり
日本の製造業での様子を見にきた諸外国の方々が驚くのは、そのフラットぶりです。たとえば、工場長が工員と席を並べてランチする様子は、ある意味、衝撃的に映るようです。不祥事などが起きると、他外国では末端の工員の様子をトップが吸い上げる仕組みが議論されるものの、日本はそのフラットぶりゆえに、すでに昔から実現しているとさえいえます。
つまり、日本の強みといわれた垂直統合型ものづくりは、日本人が味噌汁を飲んで育った感覚からすれば、自明の方法だったといえます。思考の末に行き着いたのではなく、それは日本人にとって当然のものでした。
もちろん、逆に欧米のものづくりは、企業内部ではなく、企業間のフラットさは担保されている、ともいえます。それが、取引企業をダイナミックに変えていく、流動性につながっています。さらに、部品の標準化を進める前提ともいえるはずです。極論をいえば、標準化とは、「サプライヤがいなくなっても、他社に任さられる仕組み」であり、カスタム化とは「サプライヤが永劫にいることを前提とした仕組み」であるからです。
・少品種大量生産の時代、超多品種微量生産の時代
さて、そこで、考えてみたいのが、「日本製造業が強かった大量生産の時代が終わり、生産が海外にシフトすることで、日本の強みが失われた」という言説です。大量生産に裏付けられた調達行為において、通用する手段は次のようなものでした。
・量を背景とした交渉
・理屈より経験
・価格の落とし所は勘
やや日本語としては荒っぽかったものの、まとめると上記になるのだと思います。これは批判ではありません。というのも、量が伸びている側面にあっては、なによりも「増えるから安くしてくれ」と要求しやすく、細かな原価計算なくともサプライヤは「それなら安くします」と応じやすかった背景はたしかにあります。
ただ、意識すべきは、大量生産が微量生産になるにしたがって、これら手法の有効性は薄れてきていると考えねばなりません。私は処女作のなかで、理屈と経験の中間こそが重要であると宣言しました。そして勘だけではなく、理屈に基づいた価格決定が必要だ、とも述べました。
ところで、さきほどあえて比較した、垂直統合型と水平分業型をあらためて確認してみます。垂直統合型とは、すりあわせを前提としたものでした。そして水平分業型とは、標準化を前提としたものでした。ということは、むしろ、水平分業型においては標準化が進むわけですから、標準化したものを大量に調達する時代ともいえるでしょう。これは逆説の一つです。
<つづく>