明治大学政治経済学部准教授・飯田泰之さんとの対話(坂口孝則)

*前々々回から明治大学の飯田泰之さんとの対話を掲載しています

今回からでもお読みいただけます。話は、出版界におよび、とくに自己啓発本について話しています。

◎自己啓発・成功本ビジネスの不毛

飯田 「普通の人」に向けての儲けをエサにしたビジネスが何だったかというと、一時期流行した、いわゆる自己啓発ビジネスや成功本商法、あるいはネットワークビジネスなどの手合いではないかと思います。僕が商工会議所の懇親会などでお話しするとき、よく求められるのが成功談で「どういう勉強をされたんですか」「高校受験のときはどうしましたか」とか、どうでもいいようなことばかりよく聞かれるわけですよ。そんなに成功した体験なんかないのに(笑)。こうした質問をしてくる人が、自己啓発ビジネスや成功本のお客さんなんでしょうね。なぜ日本でここまで自己啓発や成功話が流行って、そしていまそれが廃れようとしているのか。それらの本は誰が買っているのか、何を目指しているのでしょうね?

坂口 僕が『営業と詐欺のあいだ』(幻冬舎)という本を書いたとき、マルチビジネスなど、20社ほど、いろんなところに無料の資料請求をしてみたんです。自己啓発系のところもありました。すると電話がすごいんです。「今日から生まれ変わりましょう!」みたいな。それで、やたらしつこかったのが、ジョセフ・マーフィーの商材を売っている会社でした。200万円くらいする教材をいかに売りつけるかということで、セールスマンが異常な熱意を持って、会社にまで電話をかけてきて、しつこく営業をかけてくるわけです。しかも、すごく明るいんですよ。「一緒に人生を明るくしましょう!」みたいな(笑) 電話ごしに教材テープを聞かされました。「どうです? 人生変わりそうでしょう?」って。わかんなかったんですけど(笑) そこで僕が面白いと思ったのは、福本博文さんの『ワンダーゾーン』という本に詳しく書かれているのですけれど、その成功哲学を最も身につけているはずのその会社の社長さんがどのような暮らしをしているかというと、一人で引きこもって、お付きの人とものすごく孤独な生活を送っているんですって。この会社が扱っている商材は、自分から積極的にコミュニケーションして、アクションを起こすことによって人間関係を良好にして、それを成功につなげようと説いているにもかかわらず、明らかに社長さんの生活はそうではない(笑)。この事例だけですべてを決めつけることはできませんが、おそらく成功本を読んで自己啓発を成し遂げた人というのは、先程の株で儲け続けてる人の話と同様、ほとんどいないんじゃないかと思うんです。

 成功本を読んだりして「自分探し」や「自己改造」を追及している人って、たいてい海外に出たり、まったく違う世界に行ってみたりしたがるじゃないですか。でも僕の考えだと、それは単に周囲に自分のことを知っている人がいない場所に行くことで環境の側を変えることで何かが変わった気になっているだけ。ほとんどの場合、自分自身の性格やスキルは1ミリも変わってないと思うんですよね。本気で「自分探し」をしているなら、本来、自分の周辺にいる人たちの方がよく知っているわけだから、その人たちに虚心坦懐にアドバイスをしてもらう方がよほど自己発見につながるはずなんですけど、自分のことを知らない人ばかりのところへ行きたがる。それって、本当に自分を変えようとするのとはむしろ真逆で、際限のない自己肯定を求めているだけなんじゃないかって。

 結局、成功本で成功したのは、成功本を書いたやつだけだと思うんですよ。けどそれにしたところで、成功本を書いた人は、かなりの確率で数年後には失敗していたりするわけです。成功本を書いた著者の追跡調査をしたら面白いんじゃないかと僕なんかは思うわけですけれど、悪趣味ですかね。さっきの投資で勝ち続けている人が、よほどの偶然でないといないというのと同じですね。つまり、誰でも同じように実践できる成功メソッドなんてない。むしろ、みんなと違うことをやるからこそ成功できるのであって、みんなに向けて書いた時点で、それはもう成功法として機能しないのではないかと。

飯田 よくある笑い話で、「絶対もうかる方法を教えてやるから、1,000円出してくれ」という手口がありますよね。で、その1,000円もらったら、「これを2人にやれ」と。それを何百人・何千人を相手にやるのが、いわゆる成功本の書き手たちでしょうね。

 成功本について思うのは、経済学における「一物一価の法則」というものです。これは、品目が違っていたとしても、消費者にとって同じ価値をもつ商品は、やがて同じ値段になる、という経験則のことです。なぜなら、もし価値が高いのに安いものがあれば多くの人から買われるから値段が高くなるし、逆に価値が低いのに高くなっているものは買われなくなるから安くなる、という市場原理が作用するので。で、成功本ってだいたい1,200円くらいですよね。この値段って、ちょうどユンケルのような栄養ドリンク剤の高いやつと同じくらいじゃないですか。つまり、成功本って読むとちょっと元気になるので、ドリンク剤と同じ効果がある。そしてその効果が、「よし、やるぞ」と意気込んで寝て起きたら、次の日にはなくなっている点も同じです。

 だから、いろんな種類のドリンク剤を飲む人と同じように、成功本を読む人はたくさん読んじゃうわけです。見事に一物一価の法則が成り立っていますよね。元気をもらいたいときは、ユンケルっぽい勝間和代を読めばいいし、リラックスしたいときは癒しのアロマっぽい香山リカを読めばいい。そういう感じなんじゃないでしょうか。

坂口 あと、商売や経済に絡んでよく売れる本だと、「××のない日本経済は沈没する」「このままでは世界恐慌がやってくる」といった警世本というか、危機予言本みたいなタイプの本がありますよね。一般の人からすると、多分ノストラダムスの大予言みたいに「極端な予言をしてくれる怪しい人」と「怪しげな予言は言わないまともな人」がいた場合、なぜか前者のうさんくさい人の方が魅力的に映ってしまうという皮肉な現実があるような気がします。預言ある胡散臭さと、預言なき真摯さとでは、大衆は前者を選んでしまう。トンデモ本の著者がいつまでも売れる背景には、そういう大衆の心情があるんじゃないか。将来を予想する著者については、その正しさについて検証する必要がありますよね。ある人によれば、もう2010年のいまごろはアジアが統一されているはずだし、アメリカとロシアは解体され、北朝鮮は中国に吸収されているはずなんですから。

 僕個人としては、「このままでは◯◯が危ない」系の予言をするかしないかは、まともな人かまともじゃない人かを見分ける1つのリトマス試験紙だと思っています。とはいえ「まともな人」の本というのも、じゃあ日本の未来をどうすればいいのかをポジティブに考えるときの処方箋としては、一般大衆にとってあまり面白くないという事情がありそうな気もします。こうした怪しい予言系が売れてしまう理由については、飯田先生はどうお考えですか?

飯田 そういう危機予言ものが優れているのは、「このままだととんでもないことになります、こうすれば避けられるでしょう」という予想は、どっちに転んでも絶対に外さない構造になってることですね。リーマンショックでも何でも、何かが起きると必ず「日本経済終わり」本や「世界経済終わり」本が出てきますが、売れる本はそこでの危機予測や処方箋をなるべく抽象的にしている。で、事態が悪くなっていけば「そら見たことか」だし、好転したら「提言どおり真摯に改革を進めたおかげだ」と言えばいい。だから、何だか禅問答みたいなものですよね。

 まあ、結局のところ、起業にしても投資にしても各種の成功法にしても、共通しているのは「ベストセラーになっているし、みんながやってるから間違いない」というのは大間違いということですね。経済学や経営学における「儲けを大きくする方法」をもう一度おさらいすると、それは「いかに安くつくって高く売るか」とイコールで、そのための方法は、一つは「高く売れるように政府に規制をかけてもらうこと」。もう一つは、「他にはないものをつくること」でした。だから、規制に守ってもらうことは普通できませんから、他にないものをつくるしかない。そのためには、人が気づいていないことに気づく必要がどうしてもあるわけです。この時点で、ベストセラーになったり大勢の人が押し寄せるようなセミナーで知らされるコモンナレッジのようなものは、「儲かる方法」の定義から外れてしまっているんですね。

 儲けたければ、どうしても自分かごく少数の人しか知らないことを見つけなければならない。そして、自分が身をもって知らないことで儲けることは決してできない。大袈裟に言えば、この二つこそが、経済学や経営学が教えることのできる、儲けについての最大限の真実なんですよ。

坂口 つまり、「この業界は成長する」とか「次はこんな事業が儲かる」といった本やセミナーで伝えられる情報そのものは、ほとんどの場合やり尽くされてしまっていて、その「自分かごく少数の人しか知らないこと」には当てはまらないということですね。まあ、そういった本にも唯一役立つ部分があるとすれは、情報そのものではなくて自分しか知らないことに気づくための発想法だとか、自分の業界にはない他の業界でのやり方の適用可能性を探るためのチャンネルとしては、いくらか儲けにつながる発見はあるかもしれません。

<つづく>

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