特別Q&A(坂口孝則)

Q:お二人の最大の成功体験と、最大の失敗経験を教えてください(2013年9月21日セミナーの質問より)

A:私は、ギシギシきしむジャンプ台に立っていた。マレーシアのクアラルンプール、都心部の近く、パシフィックリエージェンシーホテルの最上階。私は、急成長ゆえに、あまりに排気ガスで汚れた空気を見ながら、プールからまだ成長過程のクアラルンプールを眺めていた。高層ビルと、対照的な薄汚れたスラム。このアンバランスさがこの街の魅力でもある。

私は、プールのジャンプ台に立ちながら、いつ飛び込むかを考えながら、胸の動悸が速くなるのがわかった。それは、飛び込みへの恐怖だけではなかった。私は、年収で2000万円の合否通知を待っていたのだ。そのマレーシアで。おそらく、そこから部屋に戻り、パソコンをオンにすれば、2000万円が私のものになるか、あるいは幻夢と消えるかが決まるのだった。

すべてが決まれば、まもなく2000万円は私のものになる--。プールにジャンプすれば、そのうちに。

2000万円の動悸に比べれば、わずか5メートル下のプールに飛び込むことなど、なんてことはなかった。22歳から、調達・購買などという仕事で働き、これまでなんども泥をなめてきた。そして、我ながら、何度も壁を乗り越えてきた。それがもう終わるのだ--。本も何冊も出している。調達・購買と別れるのは寂しくはあるものの、興奮のほうが先立った。

よし、と叫んで私はジャンプ台から身をプールに投げた。ジャンプ台から、プールにいたるまでの、たった数秒のうちに、なぜだかこれまでの経緯が走馬灯のように浮かんできた。

私がやってきたことといえば、たいしたことではない。調達・購買という世界にあって、自分なりの法則を見つけてきただけだ。ただし、それはある種、驚きをもって迎えられた。調達・購買の世界にあって、もしかすると私は「やりすぎた」かもしれない。いくつでも発信する情報がある。いくつでも述べるべき鉄則がある。しかも、わずか30代のくせに--。自分の仕事を徹底的に分析するのが大好きだった。最初は、自分で見つけた調達・購買の法則がお金になるなんて思いもしなかった。私は、ただただ、分析が好きで、仕事を突き詰めるのが好きなギークス(オタク)にすぎない。

私が前職を辞めたときに、一つ受験した企業がある。そこは年収2000万円を提示してきた。仕事は調達・購買とは無関係の企画職。「あなたなら大丈夫だろう」。そう面接官は語っていた。2010年のことだ。とはいえ、決定ではない私は終わることなき休暇を使って、マレーシアに来ていたのだった。落ち着かない気持ちを抑えるためにマレーシアにきたのだ。しかし、マレーシアで気持ちが収まるわけでもない。プールにビール、それを繰り返していた。

ぱしゃん。

私が水面にぶつかる音がした。そしてそこから数十分泳いだ。

ホテルの部屋に戻った。私はパソコンの電源をつけた。メッセージがGmailに届いていた。「これだ」。私は下着をつけるのも忘れて、そのメッセージを読んだ。

複雑な思いがした。

そこには、あなたは採用するものの、やはり企画職ではなくプロキュアメント(調達)部門に従業してほしいとあった。「どうするか--」。そのメッセージを見たあとに、考えこんでしまった。普通ならビールをすぐさま呑むところだ。しかしホテルには宗教上の都合からビールは置いていない。そこから私は15分歩きながらセブンイレブンに向かった。考えながら、そして、あてどもない思索にふけっていた。

いや、実は結論は決まっていたのだ。しかし、私はその結論をなかなかメールに書く勇気を持てずにいた。私はビールを4本呑み、そのまま「お断りします」とメールを書いた。

私は、その後、小さな調達コンサルティング会社に入った。会社で調達購買をやるのであれば、以前の会社を辞めた必然性がない。それならば、外部からコンサルティングをしたほうが「変化」に違いない。そう思った。

それで、私はいまだに調達・購買の世界にいる。ところで、この決断は正しかったのだろうか。おそらく、将来から振り返ると、これが最大の「失敗」か、あるいは「成功」になるだろうと、私はなぜか確信している。

 <了>

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