奇跡的な場所への旅行のススメ(坂口孝則)
奇跡的な場所にどうやって出会うのだろう。もちろん、奇跡的に、である。
調達・購買にはまったく関係がないけれど、これから秋~冬の行楽として、みなさまに一つの場所を紹介したい。場所は九頭龍神社で、箱根にある。小田原駅からバスに1時間半ほど乗ると、元箱根に到着する。そこにあるザ・プリンス箱根ホテルから、歩いて20分。幻想的な光景が広がっている。
いわばここは、パワースポットで有名なところで「縁結び」「厄除」「病気平癒」にご利益があるとされる。正直に告白しておけば、私は霊的な体験を、ほとんど信じていない。九頭龍神社の感動は、スピリチュアルや宗教的な意味ではなく、単純にその美しさに圧倒されたことによる。
関東方面からは日帰りもできる。午前9時くらいに出発すればなんとか正午には到着する。これほどの光景が日本に残っていたのかと感嘆してしまうほどだ。
人間の精神とは体とつながっている。体とは、外界と呼吸でつながる。私はあまり神秘的な表現を好まない。ただ、九頭龍神社のまわりで、深い深呼吸を繰り返すと、なぜだかそれまで考えていた悩みごとが消え去った記憶がある。
そして、九頭龍神社に到着するーー。鳥居がひっそりと立つ、その寂しげな雰囲気は、その場をすべて支配していた。
この美的なさまは、経験しないとわからない。日常からの、ある種の「癒し」を求めるひとは出かけてみることをお勧めしたい。
私は、くだらないことを思い出していた。ついさっきまで、九頭龍神社の外気が、私にそのときの悩みを吹き飛ばしてくれたにもかかわらず、だ。この神妙な場所に似つかわしくない、過去のことで頭がいっぱいになっていた。
あのとき、あのひとについ言ってしまった言葉。大切なひとなのに助けてあげられなかったこと。多忙を言い訳にお見舞いに行けずに、そのまま会えなくなったこと。あのとき冷たくしてしまったこと。裏切り、そして裏切ったこと。
おそらく、誰にだって一つや二つそんな後悔はあるだろう。ただしーー。なぜだろうか。この九頭龍神社で、爽快と慚愧が同時に襲ってきたのはーー。もしパワースポットなるものがほんとうにあるのだとしたら、それはこのような複雑な感情を抱く場所ということなのか。
奇妙な、そして無比の瞬間だった。
私が九頭龍神社に到着してから、帰るまでのあいだ。ひとりの女性がずっと祈っていた。泣きそうな顔で。何度も何度も頭を下げながら。何かにすがるように。そして、祈ることしかできないという様子で。その女性が、もともと熱心な祈祷者なのか、あるいは特別な事情があるかはわからない。
おそらく祈る、という行為をしたことがあるひとは、神を信じているといってもいいだろう。
「そこまで、神に祈るべきことがあるのだろうか」ーー。そう思ったものの、もちろん、私が彼女の立場になればわからない。少なくとも、九頭龍神社が帰依の対象になりうることは体験できた。
もし大人の旅行、大人の行楽というものがあるのだとしたら、このような日常から離脱する旅としてしか、私はもはや信じることができない。
<了>