バイヤー業務にバンザイをさがそう(坂口孝則)
朝礼というものの意味について考えてみたい。なぜ、ある会社では毎朝社員を集めて社訓を合唱させるのか。合唱すれば、売上げがあがるというロジックはありうるのだろうか。精神主義が前面に出ていて、一見したところ、あまり有益なことではないようにも思える。
しかし、この朝礼の意味は、社員が社訓を口に出すという行為そのものにある。まったく信じていなかったことも、人間は繰り返し口に出しているうちに信じ込んでしまう。洗脳は簡単だ。同じことを繰り返し実施させる、ということに多くの洗脳の肝要がある。それは脳への刷り込みの儀式でもある。名著『マインド・コントロールとは何か』の中で西田さんもいっている通り、人間は思想など簡単に変容させる。同じことを繰り返し言ったり、同じことを繰り返し聞いたりしているうちに、いつしか元の思想を消し去っていく。これは、思考が行動を規定するのではなく行動が思考を既定するという意味で、きわめて実存主義的なありようである。
人間は習慣で形作られるといった、スティーブン・コヴィー博士(『7つの習慣』)は正しかった。それは、人間が行動そのもので思考すべてを既定してしまう生物だからである。
さて、この特性を逆に利用できないか。
行動で思考が決定され、それが今後の結果に反映されるのであれば、それを良い方向にもっていけばいい。そこで、まずは、アンカーとトリガーについて説明したい。アンカーとは、良し悪しにかかわらず、人間をある精神状態に変えてしまうもののことだ。そして、トリガーとは文字通りそのアンカーの「引き金を引く」ことである。あなたが、昔の写真を見たときに、かつての懐かしい日々を思い出して感涙してしまったことがあるかもしれない。そのとき、トリガーは「昔の写真を見る」ことであり、アンカーは「感涙してしまうほどの精神状態」に陥いることだ。
あなたが50万円の腕時計を購入したとしよう。そのときに「単に買って」はいけない。そのときこそ、チャンスだからだ。50万円の腕時計を買うということはそれを身につけるにふさわしい人間だというセルフイメージを高めることでもある。もちろん、今はその50万円は大金で、無理をしたものかもしれない。しかし、それには将来の輝かしいイメージを投影するべきなのである。
あなたは、その腕時計にアンカーとトリガーを仕掛けることができる。その腕時計を見るたびに、「世界中を飛び回ってビジネスを行っていて、英語はペラペラ、そして仕事をバリバリにこなしている一流のビジネスマン」というイメージを強く抱けるようにしておく。腕時計がトリガーとなり、それが将来の新しい自分につながるように、心から臨場感をもって感じることができるようにすればいいのだ。すると、翌日から時間を確認するたびに、その腕時計は単なる腕時計としての役割を超える。それは、将来一流のビジネスマンになるために、自分の精神状態を高揚させてくれるためのツールになる。見るたびに、その目標を確認しておけばいい。繰り返しだが、人間の洗脳の基本は、繰り返すことであり、目標については「そうなる」と確信することだ。
これは自己洗脳ではないか。その通りである。自己洗脳でも結果がよければそのまま利用すればいい、というくらいのリアリスティックな考えは持っていて良い。実践するには、まず
・将来にどんなセルフイメージを持つか
・その装着品からそのセルフイメージをどのように持つか
を紙にでも書いてみればいい。
ノートパソコンを見た瞬間に、ベストセラーを連発して売れっ子になっている自分の姿を思うようにしている、という作家の方がいた。その作家が図らずも実施しているのは、アンカーとトリガーの埋め込みにほかならない。
そして、もう一つ重要なことは、そのセルフイメージを「現状のままでは実現できない」ことに持っていくことだ。「人事評価をあげる」程度のことであれば現状のままだ。「今の仕事の成果をあげる」でもいけない。強烈なアンカーとは、ありえないくらいの途方も無いイメージを持つものだ。人間を駆り立てる起爆剤とは、いつだって荒唐無稽ともいえる類のものをベースとしている。誰かためしに、「世界的企業を買収するくらいの立場になる」というセルフイメージをもって、何かにアンカーとトリガーを埋め込んでほしい。そう考えた瞬間に、あなたの行動が変わるのは間違いない。それほど、アンカーとトリガーは人間の行動すらをも変えるものなのだ。
「イメージして、それを日々思い出しながら行動すれば、目標を達成できる」これはやや妄想のような、あるいはとてつもなくバカげたことフレーズに思える。ただし、私がかつて心酔したポストモダン哲学のラカン派からすれば、それは自明のことなのである。ラカン派は、心的療法にも深い影響を与えている。ここでは、ラカン派教義の詳しい説明は省く。ただ簡単に言うのであれば、人間は「現実」と頭の中の「仮想現実」の区別はつかないということだ。あるいは、無意識のレベルで考えていることと、現実など、本質的には変わらないということでもある。養老孟司先生は、脳が現実を作り上げることを『唯脳論』という名作で描き出した。いや、脳で想像していることのみが現実化するのである。それこそ、脳化社会にほかならない。
これは、おまじないの類や、迷信の類でもない。誰だって日々目標を思い出し、無意識のうちにそれに向かって進めば成功するチャンスは遥かに大きくなる。成功は確率論なのだから、その確率をあげるためには、まず何よりトライ回数をあげる必要があるのである。別に新しいものを買うときだけがチャンスなのではない。誰だって、身近なものにアンカーとトリガーを仕掛けることはできる。考えようによっては、日常にあふれたものを見るたびに、目標を無意識に思い出す、というのは素晴らしいことではないだろうか。ナイチンゲール博士はタイトルにもなっているように『人間は自分が考えているような人間になる!!』といった。これは、人間の無意識にたいする優れた考察でもあった。ほんとうに、人間は考えている通りの現実を作り出すのである。
しかも、アンカーとトリガーを埋め込むのにお金はいらない。高価な自己啓発セミナーに参加する必要もない、優れた節約術でもある。