連載4回目「日本人はこれから何を買うのか」(坂口孝則)

・イメージ消費の時代

ある識者(岡田斗司夫氏)は「昔のひとは、現代人がハイスペックなスマホを使って、エロゲーを見たり、YouTubeを見たりしていると知れば驚愕するだろう」と述べた。そのとおりで、いまでは教養やスキルを高めるためではなく、その何十倍も何千倍もの力は、その場限りの刹那な娯楽を楽しむために情報端末は使われている。

その昔――といっても今も変わらないが--、私はビジネス系の文章を書いている。ネットメディアにも連載をいくつかもっている。あるとき、大手ネットポータルサイトの担当者に相談した。「どういう記事がアクセスを集められますか」。相手の返答は明快だった。「諦めてください。アクセスの半分は芸能、さらにその半分はスポーツ、あとは面白ネタ。さらにその残滓を政治と経済などがわけあうのです」と。つまり、ビジネスの人間は想像もつかないものの、実は自分たちはマイナーな書き手にすぎないのだ。

多くのひとたちは、これは良い意味で使っているのだが、ビジネスの書き手とは違い、直感的に楽しめるものを観る。そして良くも悪くも、その手のコンテンツを量産する業者やメディアも出てくる。なぜならば、マスが消費するものを狙うのがビジネスの鉄則だからだ。

その意味では、かつて娯楽やレジャー費として大衆から消費されたものが、たんにスマホに移行したと考えられる。しかし、この違いは大きい。というのも、かつては消費社会とは、物質社会だった。それが、消費社会とは、すなわち情報社会になった事実を指すのだから。

一見、それが物質に見えたとしても、価値を販売している場合が多い。たとえば、楠木建さんの名著「ストーリーとしての経営戦略」にあるとおり、「ストーリー」こそ、消費者がメーカーに求めるものになった。

私はさまざまな企業と関わっているが、このストーリーは、さまざまな商品を売る際に不可欠だ。家電製品は、その高性能自体を語ってもほとんど意味がない。たとえば小型プロジェクターを販売するときに、軽量さだとか画質の良さも、もちろん訴求点ではある。しかし、もっとも重要なのは、それを使うことで、子どもの運動会の画像を見られることであり、孫とコミュニケーションが取られることだ。金庫であれば、頑丈性や耐火性も重要だけれど、もっと訴求するのは、そのなかにネガをなくした思い出の写真を保管できることだ。

かつてはトヨタのプリウスが、いまではテスラのモデルSが、環境意識の高い消費者に売れている。そこには、単純な燃費だけではなく、そのクルマを有することでどう世界が変わるのか、そしてそのクルマに賭けた開発者の情熱そのものが販売されるようになった。

フェアトレードという動きがある。これはコーヒー農園など、労働者に適正な賃金が支払われていない状況を嘆き、中間搾取を廃したうえで、直接コーヒー農園などと取引をするものだ。しかし、たとえ、コーヒー農園と直接の取引が実現したといって、どうやって労働者に渡っていると確認できるのか。オーナーを利するだけではないのか……といった疑問は、正当でありながら、有効ではない。

なぜなら、フェアトレードを好むひとたちは、そこまでコミットしていないからだ。フェアトレードに流れるストーリーこそが重要だ。これは批判ではない。ノリと雰囲気で消費する構造に変化はないのだ。それが、かつてはブランドバッグだったところが、次はフェアトレードで有機栽培のカフェインレスコーヒーになっただけのことだから。

・イメージ責任の時代

たとえば、あなたが二種類のクツを見せられたとする。性能が同じで、一つは1000円、もう一つは5000円。すると、前者のほうがお買い得だと通常は思う。しかし、紹介者が「前者は新興国の強制労働によって作られたものです。後者は先進国のなかでも労務監査を受けた工場で作られました」。すると、とたんに自己の倫理観が顔を出し、前者を買えなくさせてしまう。

前者の状況にたいして、「とはいえ、そんなことは私に関係がない」と思うほど強くはなくていい。しかし、なぜ私たちは「とはいえ、私が状況改善のためにできることはない」と諦めるくらいもできないのだろうか。

さきほど、ナイキ「NIKEiD」をあげた。先端企業は良くも悪くも、時代といちゃつくことになる。1980年後半からナイキの協力工場で児童労働が囁かれていた。しかし、あくまで協力工場だ。ナイキの工場ではない。だから同社は目立った改善をしなかった。ところが、1996年、米雑誌「LIFE」に一枚の写真が掲載されてから事態は大きく変化する。

その写真は少年がナイキのトレードマークの入ったサッカーボールを縫い付けているものだった。あきらかに少年は幼く、のちに12歳であると判明する。そこでメディアだけではなく、NGOなども加担して、ナイキ批判の声が高まっていく。

さらに翌1997年には、児童労働のみならず、低賃金労働、長時間労働、セクシャルハラスメント、強制労働……が曝露される。結果、はじめは小さな動きだったナイキの不買運動は、カリフォルニア州の大学生から広がり、全世界に飛び火していく。1998年第三四半期に、前年度対比で売上が69%減少する「異常」事態となる。

そこから同社は社会的責任をまっとうした活動を意識せざるをえなくなる。現在では、同社は「Compliance」のページに、取引先選定の細かな基準書を公開している。これは本来であれば、企業機密ともいうべき監査資料や評価資料のたぐいであるが、外部へのアピールとしても機能している。

現在では、従業員や関係工場社員であっても、スマホでSNSを使い、すぐさま「告発」もできる。最近の有名なところでは、アップルがiPhoneの組み立て外注を委託していたフォックスコン(鴻海)でも女性労働者への強制労働が報じられた。同工場では自殺も頻発し(注)、フォックスコンのみならず、アップルにたいしても厳しい目が向けられた。

アップルは「Supplier Responsibility」のページから、取引先にたいしても厳格な労務管理を実施すると謳い、呆れるほどのデータを公開している。同社は、労働標準時間と実際の労働時間を比較したり、人権確保に取り組んだりと、時間とコストを割いて徹底的に活動している。

日本ではユニクロが有名で「お取引先とともに」ページにさまざまな取り組みを紹介している。「労働環境モニタリング」では、アップルとおなじく、自社のみならず協力工場の労務状況を改善すると宣言し、改善しない場合は取引を見直すとしている。

いったん情報が拡散すると、毀損した企業イメージを再建するのは難しい。自社関係の不正をなくすこと、そしてイメージをあげること。これはこれからの企業の必要コストとなっていった。それは、スマホ時代には必然のことだったのである。

(注)ところで、この件に関しては、異論がある。自殺者は30名とも報じられたが、同工場での労働者は50万人ほどだったと推定される。とすれば、10万人中の自殺者は6名であり、これはOECDがよく引き合いにだす先進国の自殺者と比してもさほど高くない。日本は19人で、韓国は29人である。

<つづく>

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