プランのない人生(坂口孝則)
・個人的な経験から
もう少しで4月がはじまる。誰の胸にも、新年度はどのような1年になるのか期待と不安が入り交じる。ところでここから、個人的な話になることをお許しいただきたい。今年の3月末に会社を辞めることになった。もちろん、いまの会社で引き受けた仕事はちゃんとこなすのでご安心のほどを。ただ、考えてから決めるまで、ほとんど時間はかからなかった。
身近なひとにこのことを話すと、「4月から何をするの?」と訊かれる。しかし、残念ながらその答えを私はもっていない。というのも、漠然としか考えていないからだ。何かの決断をくだすとき、いくつかの選択肢が思い浮かぶ。会社にとどまるか、会社から飛び出すか、あるいは専業主夫(笑)になるか。ただし、悩む、ということは、その選択肢がほぼ同じ程度ということだ。どれを選んでも、完璧ではない。とするならば、即決し、選んだ道に全力投球すれば良い。
さらに個人的な経験をお許しいただきたい。2年前、突然、結婚しようと思い立った私は、「次に知り合った女性と結婚しよう」と決めた。そして12月30日に出会った女性と2ヶ月後には一緒に住み始め、8ヶ月後に結婚した。総務省統計局「出生動向基本調査結」独身者調査の結果概要によると、18~24歳の男性では結婚しない理由として、「まだ若過ぎる(47.3%)」「まだ必要性を感じない(38.5%)」をあげている。同世代の女性も傾向はおなじで、「まだ若過ぎる(41.6%)」「まだ必要性を感じない(40.7%)」をあげている。ただ、これが25~34歳になると、結婚しない理由、できない理由をあわせて、男女ともに「適当な相手にめぐり会わない(男性:46.2%、女性:51.3%)」と、この理由が群をぬく。ようは、さまざまな理由をあげているうちに、気がつけば、誰も結婚相手候補がいなくなっているわけだ。
若いころはさまざまな可能性にあふれている。もしかすると、現在つきあっている男性や女性にまさる相手を探したがるかもしれない。自分の経験談をふまえていうのであれば、青い鳥を探しても、きっと見つけることはできないだろう。さまざまな選択肢を吟味して時間をずるずると延ばしてしまうよりも、いま目の前にいる結婚可能な相手と一緒になるべきだ。それ以降は「あったかもしれない」現実を考えるのはやめて、その人にベストをつくすしかない。
・以前、会社を辞めたとき
これまでの会社組織に体質があわず、二回ほど辞めた。それは、その会社組織が悪かったのではない。おそらく客観的にみても、かなりすぐれた組織に分類できるだろう。たんに自分に甲斐性がなかっただけだ。それに、自著「モチベーションで仕事はできない」で書いたとおり、目の前の仕事に没頭することが大切だ。しかし、そのときの私にはそのときの会社を辞めたほうが、より多くのひとたちに価値を与えることができるのではないかと考えた。自分が仕事を好きか嫌いかではなく、会社を辞したほうが、多くのひとに喜んでもらえる仕事ができるのではないかと考えたのだ。そして、より多くのひとに喜んでもらえれば、自分も仕事が好きになる(あるいは好きだと誤解する)ことができると思った。
もちろん、いまでは本を21冊も書き、日本の各地を講演でまわっているけれど、そもそも確信があったわけではない。「会社を辞めて実現できるかもしれないこと」と「会社に居続けることのメリット」を比較すれば、どうしても後者のほうが良さそうに思える。うじうじと悩みがちになる。しかし、悩む、ということは前述のとおり、その二つの選択肢は結局のところ同じ程度だから、さっさと決断してしまえばいい。
そのときは今ほど多くの出版社にコネがあったわけではないし、どうやって講演や研修などというものを受注するのかもしらなかった。ただし、日本では6000万人ほどのひとが何らかの仕事で食っているわけだ。自分一人が食いっぱぐれることはないだろうし、それに自分のことだから上手い方法を考えるだろう、と思い込んだ。「まあ、あんただったら何かやるんじゃない?」と妻にいわれたことも大きい。
会社とは1000万円稼ぐひとと、200万円しか稼げないひとがいる。これは営業部門だけではなく、調達・購買部門も同じことだ。ただ、給料を平均化するために、(1000万円+200万円)÷2=600万円がそれぞれに支払われる。もちろん、評価によっては差はつくだろうが、さほど大きなものではない。そこでこう考えた。とすれば、1000万円ではなくとも、600万円程度、会社員の偏差値でいえば50程度の働きさえできれば、会社員の平均年収くらいはいくはずだ、と。
・4月からの人生
おそらく、4月から職場をかわる人もいるだろう。そのいっぽうで、決断を先延ばしにしたまま現状を繰り返すひともいるだろう。これは、会社を辞めろということではない。会社に居続ける、と決断したならば、それは素晴らしいことだし、非難されるべきことではない。ただ、悩むことに慣れすぎて時間を浪費しているひとがいれば、それはもったいない。
PDCAという言葉がある。解説するまでもなく、「プラン・ドゥー・チェック・アクション」のことだ。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する手法で、広く知られている。しかし、私はこの言葉が悪しき意味で広がりすぎているのではないか、と思う。
もちろん、プロジェクトや経営にはこのPDCAは必須なのだ。ただ、私たちの決断の場面において必要なのは、Pを抜いた「DCA」と思う。Plan(計画)にばかり時間をかけすぎて、いつのまにか加齢してしまうひとをたくさん見てきた。とりあえずやってみる。そして対象に全力投球し、そのなかから次なる一手を考え続ける。言い訳をせず(きっと言い訳をするひとは単にヒマなのだ)、決断を下す。悩む時間は、決断後の努力に費やす。
その日の気分で左右されるのをやめ、まわりのひとに左右されるのをやめ、決断により道を拓く。繰り返すものの、言い訳に別れを告げ、とにかく前に一歩を踏み出すこと。
悩みとは快感なのです、といったのは私の師匠である柴田英寿さんだった。その快楽が大きいがゆえに、それから離れられないひとが多い。私は中学生のとき、西部邁さんと栗本慎一郎さんの対談「立ち腐れる日本」を読み衝撃を受けた。こんな本を読んでいる中学生もどうかと思うものの、同書のなかで西部さんは「人生で迷ったときは、苦しそうなほうを選べば、正解である」と語っていた。なんとすごい卓見!! 「苦しそうなほうを選べば、正解」とは!
それ以降、私はできるだけ「大変な道」「苦しそうな道」を選択するようにしてきた。みなさんはどうだろうか。人生の師から、こんな洒脱なアドバイスをもらうのも悪いもんじゃない。「人生で迷ったときは、苦しそうなほうを選べば、正解である」
4月からのみなさんのご検討を祈る。そして、これは自分自身にも捧げられている。