セクショナリズムの効用(牧野直哉)

大企業病をあらわす、あまり良い意味では使われない「セクショナリズム」という言葉。ある大企業で勤務していたときは、セクショナリズムをまざまざと実感し、どうしたらなくせるのかを考えていました。現在は中小企業に勤務しています。セクショナリズムがないかといえば、立派に存在します。

この「セクショナリズム」について、最近ではすこし違った印象を受けています。それは、セクショナリズムには良し悪しがあるということです。セクショナリズムがある状態とは、ベストな状態ではありません。どのような状況で起こっているセクショナリズムなのかをきちんと掌握しないと、良し悪しを判断することはできません。セクショナリズムがあるなと感じたら、どんな状況がそう感じさせたのかに目を向ける必要があるのです。

私が過去に感じたセクショナリズムの多くは、狭間にある仕事に関する取り扱いに関して話をするときです。どちらのセクションがやるべきか、そんな会話のやりとりの中にセクショナリズムが存在します。しかし、そんな瞬間は良いセクショナリズムと悪いそれを見分ける絶好のチャンスでもあります。セクショナリズムに飲み込まれてうなだれている場合ではないのです。

良いセクショナリズムとは、狭間の双方のセクションに存在する仕事について、なぜ自分たちの仕事ではないかについて明確に説明できる状態で起こります。各セクションの明文化された職責一覧にないから宙に浮いてしまうというようなケースです。この場合、狭間におちいってしまった仕事は、これまでに想定されていなかった、経験のない、新たな課題ということになります。明確に職責が定められているからこそ生まれてしまうわけです。日々変化する経営環境の中で事業を営む場合には、このようなケースも十分にありえます。

良いセクショナリズムにするにはもう一つ、重要なポイントがあります。それは、宙に浮いた仕事を、そのままに終わらせないことです。必要があれば、対処を決定する。ただ、決定すれば良いわけではありません。当事者セクション双方の責任者が納得して、組織的に、最終的に仕組みとして対応方法を決定できるかどうかです。そして属人的でなく、組織的に仕組みという点がキーです。これを説明するには、悪いセクショナリズムを説明するとわかりやすいでしょう。

一方、悪いセクショナリズムとはこのような場合です。宙に浮いている仕事は存在します。そして自部門の仕事であるかどうかがわかりづらい。セクションの狭間がなにかぼんやりとしていて、狭間そのものが見にくいのです。明確な根拠が存在しないにもかかわらず、自部門の仕事では無いとの主張だけは立派におこなっているような場合です。このようなケースでは、当事者セクションの職責がそもそも明確でないのです。担当者によってカバーする範囲が異なる場合などこの典型です。曖昧なセクション間の職責の線引きが問題なのです。そしてセクションの狭間に存在する担当のない仕事がなんの対処もおこなわれずにそのまま放置されてしまう。セクションの管理者もどちらでおこなうべきかを決めず、当然仕組みにもならない。このような状態が、企業としての動きをぎこちないものとして、やがてほんとうの大企業病に冒されていくことになります。

こう考えると、大企業だから起こって、中小企業だから起こらないという状態でもなさそうですね。異なる役割を持つ複数の組織が存在すれば、どんなところでも起こりそうな話です。セクショナリズム=大企業特有の現象とはいえませんね。問題のとらえ方と、意志決定ができるかどうかです。

どこでも起こる問題であるからこそ「セクショナリズムだからしょうがない」なんて捉えてはダメなのです。そのどこにでも起こりうる問題に、どんな風に対処したか。企業としての実力に大きく関わっているのです。ビジネスにおける様々なシチュエーションを想定して、想定した事態に対処するために組織や仕組みをつくっていきますよね。想定した条件は変化します。セクショナリズムの多くの原因となる想定していない事態は、日常的に起こることなのです。

もし、あなたが担当者である場合、どんな状況なのかを正しく掌握する必要があります。ここで必要なのは、当事者であっても第三者的にフェアーな判断基準を持とうとする意志です。人には感情があるので100%公正な判断はできない場合もあります。しかし、これもやむを得ないこと。ポイントは、第三者的に公平な判断を試みることです。

そして、もしあなたが部下を持つ管理職の立場であった場合。関係セクションと建設的な話し合いの場を持って、自らの意志で対応方法を決定し、仕事のやり方・仕組みとしてルーティンを決めてください。些細な問題であっても、積み重なったり、時の経過だったりによって、深刻な問題となるのです。最近では、100%管理職であることは難しいかもしれません。時にはでなく、常にプレーヤーとしての一面を持ちつつも管理職である方も多いでしょう。しかし、管理者であるからには、意志決定ができなければ存在意義が薄れてしまいます。

セクショナリズムとは、大企業に特有の事象ではありません。個人事業主や家族経営、ごく少人数の企業で無い限り、どこでも起こります。ゆえに、セクショナリズムをなくすことはできません。ポイントはセクショナリズムを感じたその瞬間に、どんな対応をおこなったか。そして顕在化した問題をどのように処理していったかです。企業として良好な状態にあるということは、セクショナリズムもそうやって日々解消してゆくのでしょう。セクション間に存在する狭間が、まさに狭く浅いときであれば、対処も簡単であるはずなのです。

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