折れそうな心の鍛え方

・この生きづらい時代に

突然、頭のなかが白紙になり、がたがたと体が震えてしまうことがある。自分のやっていることのすべてに意味を見出すことができなくなる。パソコンのキーボードを打っているとき、書類を見ているとき、たまには多くの他者になんらかのプレゼンテーションをするとき。「そいつ」は突如やってくる。

お前はいま、何をやっているのだ。その行為が何になるというのだ。莫大な宇宙のなかで、お前ほどの小さな存在が生きる刹那に、お前自身はどれほどの整合性をつけているのか――。

すべての仕事は、他の誰かに役立っている。社会をすこしずつでも良くしていくもの、それが仕事だ。よって、どんな人でも、世界の片隅にいたとしても、仕事を重ねることで、社会とつながることができる。だから、きっとささやかな私の仕事も、それなりに意味があることなのだろう。もし究極的に意味などないとしても、それが実際に誰かの役に少しでも立っているのだとしたら、否定されるものではない。

ただ――。

それでもなお、その無意味さに耐えきれなくなることがある。

このような衝動に誰もが駆られるのかがわからないでいるうちに、いつの間にか、誰にも打ち明けることができずにいた。

たとえば、本文章のタイトルを拝借した日垣隆さんの「折れそうな心の鍛え方」はウツ状態(ウツ病ではない)の人にとって多くの気づきを与えてくれる名著だ。私は、この本をはじめとして、いくつもの「落ち込まない技術」「心が折れない技術」に関する本を読んできた。

不安や焦燥感にさいなまれるのは自分だけかと思っていた。違うんですね。

普段は明るく見えるひとも、少し話せば同じく不安にさいなまれていることがわかった。将来が見えない、未来像が描けない、なぜか不安だ……おそらく、このような症状は現代病ともいえるものではないか。

・私の見つけた方法

そこで不安をなくすために試行錯誤して、私が行き着いたのが「呼吸法」だった。なんだよ、呼吸法なんて、オカルトじゃないか。そう思われた方もいるだろう。

しかし、事実、呼吸法を学び(ちなみに専門のトレーニングにも行ったし、いまも継続している)、実践するたびに、不安が解消されている。いまでは、体調も良くなった。それに、呼吸法を学ぶと、プレゼンテーション時の発声も向上する。

私も以前は、「呼吸法」といわれると、ヨガやニューエイジ系の怪しげな方法だと思っていた。しかし、専門書なども読むにつれ、呼吸とは人間の基本であり、体を形作る行為だとわかった。

私のスタンスは、実利的に「使えるもの」であれば、理論的根拠がじゃっかん薄いものでも、活用していくものだ。事実として、不安なひとたち、落ち込んだひとたちの呼吸は浅いデータがある。まずは、体の呼吸を深くすることによって、心にアプローチしていくのだ。

たくさん空気を吸い込んだことのない体は、そもそも呼吸に慣れていない。大きく息を吸い込むことによって、体を呼吸に親しませることが必要だ。

(1). 限界まで鼻から息を吸う
(2). 限界まできたら、さらに息を吸う
(3). さらにその限界まできたら、さらにさらに息を吸う

なお以下の絵は坂口によるものなので著作権侵害はしていない。

通常であれば、たいてい10秒ほどで苦しくなってくる(1)。しかし、そこで止めずに、息を吸い続ける(2)。ここでかなり苦しくなるものの、さらに息を吸い込んでみる(3)。

この3まで20秒ほど呼吸ができることが一つの基準だ。たったの20秒と思うかもしれない。ただ、実際にやってみると、最初のころは15秒でもかなり厳しい。それだけ、極限まで息を吸うことになれていない。

そしてそのあとに鼻から息を吐く。これもおなじく、20秒ほどを基準にする。吸うことと同じく、吐くことにも慣れていないことに気づくはずだ。

イメージは、吸うときにお腹をふくらませ、お腹のなかに風船があると思ってほしい。吐くときは、その風船を割って息を出す。吐くときに鼻からではなく、口から吐けば、そのまま腹式呼吸になる。

外国人のスピーチを思い出すと、ものすごい鼻息をマイクが拾っていることがある。欧米人は鼻から呼吸することに幼い頃から慣れ親しんでいる。それは腹式呼吸によって、鼻から吸った息で、声を遠くに届かせる効果を持つ。

ちなみに、私は「呼吸法を変えるだけですべてがうまくいく」とする一連の書籍を鵜呑みにしていない。体はさまざまな要素が絡みあうので、呼吸を変化させるだけで健康体に生まれ変わるというのは、さすがに極論である。ただ、日本人に多く見られる胸式呼吸では、息を口から吸い込むことが多く、腹式呼吸で鼻から息を吸い込むことに比べて、大気中のウィルスを摂取しがちになる。その意味では、呼吸法を変えることによって、病気になりにくくなることは間違いない。鼻から空気を吸うことで殺菌作用があるからだ。

また、必死で呼吸をしているときに、その苦しさゆえに呼吸に集中していなかっただろうか。他の雑事や心のもやもやが、その苦しさに上塗りされていたはずだ。この呼吸を何度かしているうちに、気持ちが落ち着いてくる。そして、「まあ、仕事でもやるか」と決意するまで何度か呼吸を繰り返す。何かに心囚われているときは、違う何かで心を囚われるほうがいい。それは、苦しさが伴うほど、心奪ってくれるものだ。

さきほども説明したように、気持ちが不安定な人は呼吸が浅くなることが知られている。よって、まずは呼吸を無理矢理でも変えることで、気持ちへアプローチしていく。

・オフィスに座りながら

また、オフィスであれば、椅子に座りながらであってもこの呼吸によって準備を整えることはできる。ただ、もし立ち上がることができるのであれば、次の方法を試してみよう。

まず、かかとに重心をおいて呼吸をしてほしい。同じく、極限まで空気を吸っては、限界を超えて吸い、さらにその限界を超えて吸う。その次に、かかとではなく、足の指に力を入れて吸ってほしい。

姿勢が前かがみになるはずで、このときの呼吸は、かかとに力を入れてのけぞっていたときよりもやりやすくなっているはずだ。これはお腹と胸が空気を吸いやすい体勢が前かがみの姿勢になった状態だからだ。始業前や休み時間に立ち上がることができるのであれば、少し前傾姿勢で呼吸をすることが効果的だ。

ところで、外国人の迫力のある饒舌なスピーチを見ているときに、演台に手を置いて前かがみになった状態を思い出せないだろうか。あの姿勢は、前述の呼吸法を応用したものだといわれる。前かがみで息をたくさん吸い込むほうが、腹式呼吸によって声を通す効果があるばかりではなく、緊張せずに講演を成功させる秘訣だったというわけだ。

呼吸法を練習していると、面白い自分を発見する。パソコンの電源を入れると、深い呼吸をなんどか繰り返す。それも、お腹を極限まで大きくして目をつむりながら必死で。お腹のなかの風船を押しつぶし、息を長く吐き続ける。そうすると、いつの間にか、前日に届いた読者からの批判メールや、理不尽な叱責、いざこざなども、もちろん完全ではないものの自分のなかでの比重が小さくなり、「それでも仕事をたんたんとやるか」と決意している自分がいる。

ニュース番組を見ていると、キャスターがレポーターを呼んで現場から実況させることが多い。そのときに、レポーターの名前を大きく呼びかけることがある。レポーターもつられて「はい! 現場の○○です」という。これにはそれなりの意味があり、「はい!」といわせて、腹式呼吸を開始させている。さきほど、ナーバスな状況から抜け出すために腹式呼吸が必要だといった。レポーターはプロの話し手ではないこともあり、緊張状態が続いている。もちろん、「はい!」だけですべての緊張がほぐれるわけではない。ただ、そのようにしてキャスターはレポーターに少しでも通常状態での実況を期待する。

心のなかで仕事をやりたくないと感じるときは、その仕事を「今」やらねばならないことの根拠が希薄だからだ。心がそのような状態なのに、無理に心を変える努力を重ねてもムダだ。緊張しているときも、緊張している心を変化させることは難しい。まずは体を変えようと試みることだ。

この文章には「折れそうな心の鍛え方」と大袈裟なタイトルをつけた。その答えが「呼吸法」だと思われたかもしれない。しかし、人間を劇的に変えるものなどない。小さな工夫の積み重ねでしか変化は訪れない。

もし、読者のなかで不安にさいなまれている人がいらっしゃれば、まず呼吸法を! 私には、これまでにもまして呼吸の重要性をかみしみている。

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