現場の知識だけがすべてなのか(坂口孝則)
・アカデミックの歴史的敗北
最近、このサイトが話題になっています。「寝ているのに、起きていると思わせる方法」。私も爆笑してしまいました。
ところで、先日(1月15日)の報道ステーションSUNDAYが話題になっています。橋下徹さんと山口二郎教授が出演し、バトルを繰り広げました。ご存知のとおり、橋下徹さんは大阪市長で、山口二郎さんは反(アンチ)橋下政治をかかげ本も出版なさっています。
山口二郎さんの発言は、ファシズムに近い橋下政治を批判し、とくに行政主導の教育構造改革や弱者救済財源を切る捨てることについて再考を促すものでした。Youtubeなどで見ることはできません。ただ、結果は、橋下徹さんの圧倒的勝利に終わりました。まとめサイトなどで雰囲気だけ感じることはできます。
主張を簡単にまとめると、
山口さん:教育は市場原理を入れるべきものではない
山口さん:弱者切捨てではなく、セーフティーネットを準備した市政であるべきだ
それにたいして橋下さんは
橋下さん:あんた現場を知らんやろ。教育はめちゃくちゃ。人材も育っていない。予算もない。それをこのままで良いというのか
橋下さん:あんた現場を知らんやろ。弱者切捨てではなく、予算をカットしなければ市政はうまくいくもんか
と「現場の知識」で応戦しました。この日本では、抽象より具体、理論より現場が必ず勝利します。大学の先生がたとえ、理論と理想で武装したとしても、それは「現場から見ると、見当違いだ」といわれたら、何の反論もできなくなってしまいます。
違う意味でいえば、「現場の知識」に「理論と理想」が負けた、歴史的敗北だったともいえるでしょう。その他、橋下徹さんは、ご自身のTwitterを使って、大学教授を中心とした大批判を繰り広げています。
・税金を使っているひとは「立場をわきまえる」べきなのか
やや「言い過ぎ」の箇所も目立つ橋下発言ですが、気になるのは「大学教授は税金を使って研究している立場をわきまえろ(大意)」と繰り返しているところです。たしかに、この趣旨は公務員批判と給与削減を打ち出している橋下行政とも通じるところがあるのでしょう。
私は公務員ではありません。また、いまのところなろうとも思いませんし、政治家になる夢も持ちあわせていない人間です。それに、政府の機関から呼ばれて、高額のギャラも受け取ったことはありません(これが悪いといいたいわけでは決してないので誤解なきよう)。そんな人間であっても「税金を使っている公務員や大学教授は立場をわきまえろ」という批判に違和感を抱きます。それは、単に程度の差だからです。
通常に暮らしているひとで税金を使っていないひとはいません。公共インフラや都市整備など、その多くは税金によっています。もちろん、血税から給料はもらっていない、というひともいるでしょう。ただ、それは税金を享受している金額が年間100万円か何百万円かという違いであって、「公務員や大学教授のみが税金を利用し、一般人は税金を利用していない」とするロジックは極端すぎると思うのです(ちなみに計算根拠によって異なるものの、年収約400万円以下のひとたちは、支払う税金額よりも享受する行政サービスのほうが大きいというひともいます)。
もちろん、山口二郎教授の悪さもありました。政治学者の研究する知識は、そのまま現実の政治に使えません。異論はあるでしょうけれど、政治研究と政治実務は別のものです。それに、固定化したロジックだけを振りかざし、実務家に立ち向かおうとする無謀さに無自覚すぎました。
ただ、税金を使っているからといって、教授たちが立場をわきまえる必要はない。むしろ、立場をわきまえず、積極的に既存体制を覆す可能性のある理論を構築しつづけるべきでしょう。文系の学者が、現実追認だけであれば、それこそ学者の意義が喪失してしまいます。
・議論の前提
ここから汎用的な話題を考えましょう。議論に現場知識はどこまで活用すべきでしょうか。もちろん、議論の内容によります。
1・現状をどうするか→現場や実情を理解していることが必須
2・理想はどうあるべきか→現場や実情はむしろ邪魔になりがち
であろうと思います。1を議論しているときには、たしかに現場や実情の認識は必要です。そもそもそれがなければ、改善案すら思いつかないでしょう。それにたいして、2を議論しているときに、現場や実情を第一優先としてしまうと、おかしくなります。なぜなら、「現場や実情から判断して、あなたのいっていることは現実的ではない」とする発言が許されるのであれば、現場担当者以外は誰も議論に参加できなくなるからです。
よく理想論を議論しているときに「あなた、そんなことも知らないんですか」といわれることがあります。それは有効な切り返しではありません。そんなこと=現状、を知ろうが知らまいが、理想論はそれとは無関係に理論的・論理的に決められるべきものだからです。
ニュース番組ではときに、この1と2が混在して取り上げられます。本来は2の深い議論をすべきなのに、いつの間にか1にすり替わるのです。そうすると、たとえ素人であっても現場を知っているだけのひとが勝利します。ほんとうは、現場の知識や経験と理想は違うものなのに。
私たちが報道ステーションSUNDAYから学ぶべきことは、もちろん番組の構成の悪さと、1と2の混同にあったように思います。もちろん、学者であれば、1の議論のときに参加しないほうが賢明でしょう。それに、2の議論を行なっているのに橋下徹さんのように現場知識だけをひけらかさないほうがいいでしょう。これは議論のルールなのです。
1と2をわけ、現場知識だけを絶対に考えないこと。これは再度強調すべき議論のルールになるはずです。
さて、今日の会議は1でしょうか。2でしょうか。